学校日記

自分がつくる、仲間とつくる修学旅行(その2)

公開日
2017/11/09
更新日
2017/11/09

お知らせ

2017年11月6日(月) 修学旅行 in 広島

お土産を買った後、フェリーに乗って宮島口駅に戻り、広電に乗って原爆ドームに行きます。始発駅から乗ったので子どもたちは最初座っていましたが、夕方の時間もあって途中から混んできました。お年寄りや小さな子が来たら、自分からすぐに席を譲る優しい場面がたくさん見られました。それを見ていた地元の人たちが、大空のリーダーたちに声を掛けて「どこから来たの?」「みんなえらいね」「大空小のこと知っているよ」などたくさん交流することができました。

電車の中から夕日に照らされる原爆ドームが見えてきました。平和記念公園の中には、全国から、全世界から学びに来ている人でいっぱいです。
まず、原爆死没者追悼平和祈念館で被爆体験記の朗読会に参加します。朗読ボランティアの森川さん、森岡さん、藤井さんが読み始めると、当時、被爆された人が何を考えていたのかを伝えてくれます。最後に森川さんは、戦争で原子爆弾を使用された唯一の国として、世界に原子爆弾・水素爆弾を使わせない、無くしていくように発信しなければならない。これからの時代をつくっていくみなさんが当時の広島・長崎の現実を知り、関心をもっていてほしいとおっしゃっていました。

次は平和記念資料館に行きます。小さい子、お年寄りの方、修学旅行生、外国の人、僧侶の方など、世代や人種や宗教は関係なくたくさんの人が見学されていました。真剣な顔をしている人、さらにはハンカチを片手に泣いている人、一人一人自分の考えをもって見ています。大空のリーダーもそんな空気の中で学習していきます。投下される前の広島の写真と投下後の写真、焼けただれた人の写真、死体が積み重ねられた写真、焼け焦げた服、8時15分で止まった時計など、1945年8月6日に広島で何があったかを学んでいきます。資料館に来て分かったこと、感じたことをリーダーたちはノートに書いていきます。

資料館から出ると夕日は沈んでいました。周りが暗くなった中、原爆の子の像の前で折り鶴を捧げます。そして平和を祈りながら「COSMOS」を歌います。大空のリーダーの歌声が公園中を響びかせ、周りにいた観光客のみなさんがたくさん集まってきました。歌い終わる時には何十人の人たちが集まっていました♪

その後、原爆ドームの隣に位置する旅館「相生(あいおい)」で泊まります。部屋の窓からは原爆ドームが見えます。たくさん移動したので子どもたちは、お腹がペコペコです。夕食会場からおいしそうな匂いが漂ってきます。食べ過ぎてもう食べられないという子がたくさん出るくらい、みんな満足した様子でした。

入浴後、子どもたちは広間に集まります。全員が集まると、緩急車雲助(かんきゅうしゃくもすけ)さんが登場され、「黒焦げの弁当箱」というお話をしてくださいました。くもすけさんの話から、被ばくを受けて亡くなった人だけでなく、家族、友人、原爆を反対する人、原爆を賛成する人のことなど、いろいろな立場で置かれている人の話をしてくれました。くもすけさんは大空のリーダーに、原爆・水爆を使わない、そして無くしていく人であってほしい、戦争はしない世の中をつくっていく人になってほしいと願っていました。

そして、1日を通して、自分が学んだことを振り返り、一人ずつ自分の学びを全員に伝え、1日目の学習を終えました。

【コミュニティ部】