1月18日(月)、今日の児童朝会は、校長先生からテレビ放送で「阪神・淡路大震災」について、お話がありました
当時の映像写真を見ながら、大震災の様子とボランティア活動に参加した経験について話され、4年前の「助けたい 弟の分も」の記事が紹介【関連記事に掲載】されました。
小学1年生のときに神戸市で「阪神・淡路大震災」に被災し、3歳と1歳の弟2人を亡くした人のお話でした。現在は、地域の消防団に入り、また語り部グリープにも加わり、「助け合うことの大切さ」を伝えているということでした。
平成29年1月12日 朝日新聞「我がことに阪神大震災22年」より
「助けたい 弟の分も」
22年前、神戸市のJR鷹取駅の近くに住んでいたDさん、当時小学校1年生。父と母、3歳の弟と1歳の弟との5人暮らしだった。
1月17日午前5時46分。ゴー。下から突き上げる縦揺れに襲われた。自室は木造アパートの1階。家族全員が天井の下敷きになった。「地震」が理解できず、ウルトラマンの怪獣の仕業だと思った。
闇の中で、「どないや」と聞く父。「痛い」と母。3歳の弟の泣き声が響いたが、1歳の弟の声は聞こえない。その泣き声は1時間ほど続き、やんだ。
助からないかも。そう思ったとき、上から声が降ってきた。駆けつけた伯父たちだった。発生の6時間後に、小学校1年生のDさん、8時間後に父、12時間後に母が救出された。その直後、3歳と1歳の弟2人が埋まったままの自宅が炎に包まれた。(中略)
震災の数週間後。焦げた臭いが漂う焼け野原を、祖母に手を引かれて歩いた。「この子の弟たちを捜してやって」。捜索中の自衛隊員に祖母が頼んだ。Dさんが案内役になり、アパートの自宅玄関跡にたどりついた。「向こう、行っとき」。隊員に促されたが、遺体が見つかると、思わず駆け寄った。
1歳の弟は小さな骨だけだった。3歳の弟は顔と髪の一部が残っていた。3歳の弟が寝る時にいつも握っていた仮面ライダーの人形が一緒に出てきた。「ああ、弟なんやな」(中略)
その後、Dさんは18歳になったとき、地域の消防団員になり、会社勤めのかたわら、火災現場に何度も出動し、「弟たちの分も人を助けたい」という思いで、消防活動に参加している。
昨年9月に。神戸を拠点に震災を語り継ぐ「語り部」のボランティアを始めた。地震がどれだけ強かったか、震災がどれだけ怖いか、阪神大震災を全く知らない世代にどこまで伝わるか不安もある。でも「家族を失ったり、家族が傷ついたりするのが一番つらい。次の災害で同じ思いをする人ができるだけでないように、自分の言葉で伝え続けたい」そう、弟たちの分も。