「慣れ」「ダレ」について
- 公開日
- 2022/09/29
- 更新日
- 2022/09/29
学校行事・できごと
2学期が始まり約1月が過ぎました。コロナ感染者数もようやく減り、社会生活も緩和の方向へ舵をきりました。学校生活も少しずつですが、もとに戻りつつあります。
ただ気になるのは、学校生活の「慣れ」です。「慣れ」というのは、「習う」(学習の習)と同じ語源の言葉です。繰り返しの積み上げによって物事がうまくいくようになることです。「慣れ」ると、都合のいいことがいくつかあります。次に何をすべきかが予想できます。だから失敗しないようになるのです。これは人間関係にも言えます。新しい仲間に「慣れ」てくると、その人に対してどうすればよりよい関係になるかが予想できます。だから絆が生まれ、協力できるようになるということです。
しかし「慣れ」が行き過ぎると今度は「ダレ」になります。「ダレ」とはゆるみのこと。「慣れ」と「ダレ」は感じがよく似た言葉ですが、全然違います。「ダレ」ると何が起こるでしょうか。まず何をすべきかが予想できるから、何をしなくてもいいかを考えるようになります。すると手を抜きます。手を抜くというのは実際には気持ちを抜くということ。そして一生懸命やらなくなる。その結果できていたことが出来なくなる。というよりは、しなくなってしまいます。
人間関係でも同じです。「親しき仲にも礼儀あり」だったのが、「ダレ」ると相手のことを考えなくなります。いい加減に対応するようになります。すると悪ふざけや、相手を傷つけるということが起こってしまいます。そういう集団はどうなるでしょう。足を引っ張り合いしらけた雰囲気となり、やはりその結果できていたことが出来なくなり、というよりは、しなくなってしまいます
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最初の緊張感はいつまでも続くものではありませんが、自分自身で「慣れ」なのか「ダレ」なのかは意識すれば分かります。必ず自分の一番身近なところから「ダレ」は始まるからです。
イチロー選手やラグビーの五郎丸選手は何故ルーティンをするのでしょうか。一つは「慣れ」るためです。極度の緊張感に包まれる場面において、普段通りの自分の力を出せるように「慣れ」るためです。同時に「ダレ」に気付くためといえます。いつも通りの動作をすることで、いつも通りの動作をすることで、いつもの自分との違いがあれば、微妙なずれを読み取りそこで察知するということです。
子どもたちはは今朝どうだったでしょうか。以前と同じような時間に起きましたか。朝食はとりましたか。いつも通りあいさつができましたか。実はこういうこともイチローや五郎丸のルーティンと同じなのです。もし今朝普段と違うということがあれば、早めに修正してほしいと思います。周囲が変わったのではありません。いつもと違うズレ、つまり「ダレ」があるからではないでしょうか。