全校集会(5月2日)
- 公開日
- 2016/05/02
- 更新日
- 2016/05/02
お知らせ
月曜日は全校集会です。
校長先生、永澤先生のお話があり、クラブの表彰では、バレーボール部がブロック大会準優勝、陸上部が4種競技記録会で2位と好成績を収め、賞状の授与がありました。
校長先生のお話
4月10日付佐賀新聞掲載の「重い難聴越え医師に 『障害ある子どもたちの力に』」という記事に感銘を受けたので、紹介します。
吉田 翔さんという重い難聴の医学生が医師国家試験に合格されました。佐賀大学医学部医学科で学んだ吉田さん(31)は、4月から研修医として現場に立ち、将来は「障害のある子どもたちの力になり、人生の選択肢を増やしてあげたい」と夢を描いておられます。自らの障害を、患者の悩みを推し量る強みにして、再び挑戦の日々を送っておられます。
吉田さんは「先天性両耳性難聴」で、難聴では最も重い2級の障がい者手帳をもっておられます。補聴器からの音声と、話者の口の動きを見て内容を理解されますが、早口だと聴き取りにくく、頭の中で言葉を変換できないときもあるそうです。
佐賀西高から九州大学医学部保健学科に進学され、検査技師を目指しておられた4年次に参加された難聴児との交流会で、保護者から「どうすれば話せるようになるのか」「育て方、関わり方を教えてほしい」と質問攻めに合われたそうです。「子どもたちの力になれたらと思ったけれど、経験談しか伝えられなかった。医学的な知識があれば、もっと説得力のある説明ができただろうに」と痛感。医師になろうと一念発起され、2浪の末に佐賀大医学部へ入学されました。
臨床現場での実習では、学術的な専門用語が飛び交う会議の内容が、思うように聴き取れず、やり取りをその場でパソコンに入力してもらうなど、苦心されることもありましたが、「話を正確に理解できないままだったり、聞き間違えて診断を下したりしたら、医療事故など重大な結果になりかねない」と、不安を拭うように慎重な対応を心掛けられました。
4月からの研修先である国立病院機構佐賀病院は、吉田さんのために、発言の音声を即時に文字に変換して画面に表示するソフトを準備され、また、吉田さんは「生命線」になる話者の口の動きを確実に見極めるため、医師らと話す際はいったんマスクを外してもらう配慮を研修先に依頼されました。
将来は耳鼻科医か小児科医になるのが目標で、「聞こえないと話し方が分からない。人の輪に入れず、引きこもりの原因になる可能性もある。こうした『負の連鎖』に陥らないように聞こえづらさに早めに気付き、話せるようになる教育につなげたい」と語っておられます。
中学時代からバレーボールを続け、難聴者による「デフバレー」の全日本チームメンバーに選ばれ、国際大会への出場も予定。聞こえづらくてもマイナスに考えず、周りと関係を築きながら一歩ずつ、そんなことを伝えられる存在でありたいと思っておられる。
東高校教頭時代に、聴覚特別支援学校から入学された生徒さんが、普通科クラスで勉学に励まれ、四年制大学へ進学されたのを思い出し、併せて、人って凄いなぁと思いました。(福井 惠)