学校日記

私の職業体験3 バスの車掌

公開日
2013/07/02
更新日
2013/07/02

校長室

鉄工所・技術専門校で学んだことですが、従業員は「会社の発展のために労を惜しまず一生懸命に尽くすこと」ということを学びました。数ヶ月でしたけれどとても貴重な経験をさせていただき現在も感謝しております。
 結局は、退職・退学という道を選びました。次の高校受験まで家で勉強ばかりできるはずがなく、生活のリズムをきちんとすることが大事であると思い、アルバイトをすることになりました。
大手の某バス会社の車掌にあこがれていたので、知り合いの方を通して面接をしていただき晴れてバスガイドに合格しました。勤務の時間帯は、(1)始発から最終までのコース(2)始発から昼までのコース(3)昼から最終のコースの3コース勤務でした。
一日だけ先輩の車掌さんが指導してくれ翌日からは、1人でマイクを持ち乗客の皆さんに「このバスは、牛窓6時発西大寺経由の終点天満屋駅まで…」初めてマイクを持ったときは、とても緊張しました。心臓もドキドキ。切符は切らないといけないし、次ぎ降りますなんて言われても切符を切るのに必死で周りは見えません。乗ってくる人降りる人また、満員のときはわけがわからなくなります。プラス雨降りはもっとむちゃくちゃ状態で気が張ります。
経験を積むということは、偉大です。マイクで案内しながらでも切符を切ることができるし、一人ひとりの乗客に視線を合わせられるまでになりました。そうすることで乗客の方も安心して声をかけてくれるようになりました。
今でこそワンマンカーですが、さらに大変なことばかり記憶に残っています。車掌は、始発と最終はバスの掃除をしなければなりません。それも毎回ぴかぴかにします。予断ですが、結構乗客の方の忘れ物もありました。(入れ歯・腕時計・小銭などなど)書類に記入して事務所に提出をすることになっています。この整理が時間がかかり帰りが遅くなりました。
何といっても最悪なことは、一番気性の荒い、怖い運転手に当たるということです。一日中緊張のしっぱなしで、次ぎは、何を怒られるのだろうか不安だらけです。声が聞こえるだけで怒られると身構えたことを覚えています。しかし、その人が他の人と運転を交代することがあったりすれば最高の一日になりました。良好な人間関係を築くことが大切ですが、そんなチャンスはありませんでした。
また、今だから言いますが、同級生がバスに乗ってくることもあります。そんな時は、運賃を貰わなかったこともありました。また、バス道を覚えることができたので年末に帰省したときなどで家族が迎えに来てくれなかったときに、3時間ほど田舎道を夜通し歩いて実家に帰ることもありました。人を頼らないことと自分で選んだ道を達成するためにと言い聞かせたものでした。(この頃は、昭和44年で道路は、塗装されていませんでした。)