生野の民話-7-(8月14日)
- 公開日
- 2020/08/14
- 更新日
- 2020/08/14
お知らせ
校長室の本棚の奥に、「生野の民話」というタイトルが付いたコピーの綴りがありました。その中に紹介されている、東生野中学校に関係するお話をこれまでに六話紹介してきました。今日はその「生野の民話」の第一話「舎利寺の鐘」を紹介します。
「舎利寺の鐘」
生野区の中央に、舎利尊(そん)勝寺(しょうじ)があります。舎利寺の鐘のまわりには大昔の物語が漢字で刻み込まれています。
1300年前の用(よう)明(めい)天皇の時代ですが、このあたりに、生野長者(ちょうじゃ)と言われる立派な人が住んでおられました。長者には、可愛い子供がおられましたが、どうしたのか言葉が話せないのです。両親は大変心配して朝晩神様や仏様にお祈りをしていました。
その頃、聖徳太子が四天王寺においでになりましたので、おすがりしました。聖徳太子は子供に向かって、「あなたは知らないが、生まれる前に仏舎利(ぶっしゃり)をあずけてある。今すぐ返しなさい。」と申されました。子供はうなずいて、口から仏様の骨である仏舎利を三個吐き出しました。聖徳太子は、その仏舎利を奈良の法隆寺と大阪の四天王寺へおまつりになりました。残りの一個を生野長者にくださいました。それから子供は言葉を話すようになったのです。長者は喜んでお堂を建て仏舎利をおまつりしました。
この古い伝説のある舎利寺の和尚さんは、「南岳山(なんがくざん)舎利寺尊勝寺では、みなさんに毎年12月31日の夜、除夜の鐘としてこの舎利寺の鐘をついていただいております。今年もお待ちしております」と言われています。
昭和18年4月1日からこのあたりを生野区とよばれるのは、生野長者の名前から決められたのです。