はきものをそろえる
- 公開日
- 2021/06/21
- 更新日
- 2021/06/21
学校の出来事
はきものをそろえると心もそろう 心がそろうとはきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと 世界中の人の心もそろうでしょう
この詩は、禅宗の「脚下照顧」の教えをもとに、あるお寺の住職が作ったもので、その後、多くのお寺や学校や職場で掲示されているようです。
脚下照顧(きゃっかしょうこ)とは、「足元を照らして顧みよ」ということで、「自分の足もと(我が身や我が心)を振り返り、自分の立場をよく考えて行動せよ」という意味だそうです。
このお寺の住職が「自分の履き物を揃えられないようなものに何ができるのか。まずは履き物を揃えることを修行しなさい」と教えたそうです。禅寺の修行は「履き物を揃える」ことから始まるとも言われています。
「形は心の表れ」とも言いますが、心が乱れていると、何事もきれいに整えることが難しくなるものです。服装もそうですが、靴の脱ぎ方一つににも、心の在り方が見えると言われています。
履き物を揃えておくことには、他にもこんな意味があるとも言われています。
友達の家に遊びに行った時、靴をそろえて脱ぐのは、当たり前の礼儀ですが、トイレのスリッパを次に人が履きやすいように、かかとの方を手前にして揃えます。そうすれば、次に使う人も履きやすく、気持ちよく使ってもらえるでしょう。つまり、次に使う人への思いやりが込められています。
「脚下照顧」とは、「ちょっと立ち止まって、自分は他の人や周りの状況をちゃんと考えて行動できているかどうか、確認せよ」という意味が込められているのかもしれません。
習慣によっても、人はつくられます。
履き物を揃えること、それは普段の何気ない習慣ですが、私たちの心に大きな影響を与えています。