阪南中学校は、今から76年前の1947(昭和22)年に大阪市立阿倍野第三中学校として、高松小学校と工芸高校の校舎の一部を借りて開校されました。開校当時は、間借りで校舎もない、運動場もない、何も無いなかでのスタートだったそうです。
開校から2年後の1949(昭和24)年に、校名を大阪市立阪南中学校と改め、北畠のこの地に移ってきました。最初はグラウンドも狭く、体育館もなかったそうです。全校集会を行っているグラウンドの辺りは、今池と呼ばれる池があったそうです。その今池を買収してグラウンドを広げ、体育館を建てようと、当時のPTAや地域の方々が相当な苦労をされ、今の礎を築いてくださいました。
ちょうど地下鉄の四つ橋線が大国町から玉出までの延伸工事をしていた時で、交通局と掛け合って、地下鉄工事で掘り出した土をダンプで運び、保護者の方も大勢が協力して埋め立てたそうです。そういった阪南中学校をいい学校にしたいという、多くの人の熱意や努力の上に、阪南中学校が作られたことを忘れてはいけません。
今は、目立たずひっそりと立っていますが、1956(昭和31)年には、野口英世像が立てられました。先生が生徒だった頃には、正門が中央公園よりにあって、正門を入ったところに、この野口英世像がありました。
また、阪南中学校には、この3年間大きな声で歌っていない「阪中健児の歌」という歌があります。この「阪中健児の歌」の作曲したのは、25期生の河合宏子さんで、大学で音楽を勉強している時に頼まれて作曲した曲です。今年は、体育授業の始まりにみんなの大きな声が響き渡ることでしょう!伝統復活を楽しみにしています!
生徒のみなさんには、地域の方々、先輩たちの熱い想いを受け継ぎ、新しい阪南中学校をこれまで以上に発展させてほしいと思います。