戦後70年平和人権登校日(5)
- 公開日
- 2015/08/06
- 更新日
- 2015/08/06
式・集会2015
伊賀さんは、ご自分の空襲体験の
中よりお話を始められました。
大阪は約50回の空襲を受け
そのうちB29爆撃機が100機以上
飛んできた時を大空襲と言います。
その大空襲が8回ありました。
大阪では約1万5千人の方が
亡くなったと言われています。
兄が戦地に行ったり、
周りの方がなくなったり、
だんだんと物がなくなり、配給になり
生活が苦しくなってきていたとはいえ
子どもの自分に戦争が直接
かかわってくるとは思っていなかった。
女学校(現在に中学校)2年生の
1945年3月13日の夜半から
14日未明までの話です。
浪速区で、空襲にあい焼夷弾の
直撃を受け、母はその場で即死、
小学校1年生の弟は16日早朝に死亡、
父とご本人は大きなやけど等で負傷、
その空襲の様子と逃げ惑う様子
混乱の様子やその後のあった
大空襲の体験談をお話しくださいました。