学校日記

全校集会

公開日
2019/01/21
更新日
2019/01/21

お知らせ

 週の始まり。体育館で全校集会を行いました。

 校長講話

 皆さん、おはようございます。

 一月が早くも後半に入りました。昨日は大寒。これから二か月ほど、一番寒い時期に入ります。住吉区でも、インフルエンザが流行っています。手洗いうがいなど十分注意して過ごしてください。

 さて、先日の17日。君たちの生まれる前の1995年、平成7年、阪神淡路大震災が発生しました。震源地の淡路島、神戸から尼崎、大阪市内でも大きな被害となり、残念ながら六千名以上の皆様がお亡くなりになり、多くの人々が被災されました。すでにあの日から24年目となります。

 6月の大阪北部地震の際にも触れましたが、もう一度阪神淡路の話をします。

 その頃、私は旭区の中学校に勤務しており、3年生の担任で、学年主任を務めていました。次の日に校内の取り組みが予定されていたので、この日は早く家を出ました。マンションの自宅の鍵を閉め、エレベーターホールに向かい、ボタンを押したときに、午前5時46分を迎えたわけです。

 これまで味わったことのない大地震。えげつない恐怖。マンションが倒れて、死ぬかと思いました。

 日本列島は環太平洋造山帯に属し、火山や温泉が多く、地震も頻繁に起こります。しかし、大阪は比較的地震が少なく、みんな激震の経験がありませんでした。

 そこへ凄まじい大激震が襲ったわけです。生まれて初めて大地震の揺れに耐える。この恐怖感は今も忘れることができません。

 幸い、自宅も学校も無事で助かりましたが・・・。甲子園に住む親せきは、全員奇跡的に助かったものの家屋は全壊となりました。阪神高速道路が倒れ、ビルがつぶれ、家屋や道路がめちゃくちゃになり、発生した火災に対して、消防車がたどり着けず、消すことができませんでした。電気ガス水道のライフラインが寸断。学校は避難所となり、多くの住民が体育館や教室で避難生活を送りました。

 そして、全国からボランティアが集結し、がれきの撤去や炊き出しなど、助け合いの輪が広がりました。

 昨年6月には大阪北部地震がおこり、君たちも地震の恐ろしさを知ったところですが、それをはるかに上回る大震災でした。

 もし24年前に、君たちの保護者が亡くなっていたら、君たちは生まれていません。私も亡くなっていたら、君たちの前には立っていません。

 命の大切さ。
 亡くなった方の分まで、頑張って生きていく必要があります。

 私たちは今、避難訓練を何度も繰り返し、昨年は住吉区の防災訓練にも参加しました。これまでの大震災を教訓にし、自分やまわりの命を守り、しっかり生きて行くために、積極的に訓練を繰り返して行かねばなりません。

 昨年を象徴する漢字が「災い」でした。今年は、この災いが起こらないことを祈るばかりですが、起こった際に何をすべきか、どう行動するか、常に考えておかねばなりません。

 阪神淡路大震災、1.17を忘れないようにお願いします。