140周年に向けて(7)
明治22年(1889年)、町村制の実施で、湯谷島・中野・砂子・鷹合の4村が合併し、南百済村が生まれました。
「百済」の名前の由来は紹介しましたが、村の名前がなかなか決まらなかった時、村に百済と関わりがある酒君塚があったことで、当時の湯里住吉神社の宮司さんが南百済村と命名したそうです。 現在の南百済小学校は、かつての湯谷島村にあります。 湯谷島村は、古代、温泉が湧き出していたことからその名がつき、湯屋の里と呼ばれ、現在の「湯里」の地名は、それを由来としています。 湯里神社に隣接する覚林寺(かくりんじ)には、温泉が湧き出していた井戸の旧跡が現存します。 |
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