本日の献立/1月17日(水)![]() ![]() ・ツナと小松菜のソテー ・白桃(カット缶) ・コッペパン、マーマレード、牛乳 栄養価 エネルギー 792kcal、たんぱく質 32.0g、脂質 24.3g ☆小松菜(こまつな)☆ 小松菜は、アブラナ科の野菜で、緑黄色野菜に分類されています。江戸時代に椀屋久兵衛(わんやきゅうべい/1651〜1676年)が、「葛西菜(かさいな)」と呼ばれる野菜を改良して小松川村(現在の東京都江戸川区のあたり)で栽培していたとされています。後に八代将軍徳川吉宗(1684〜1751年)が土地の名をとって「小松菜」と命名したと言い伝えられています。当時から江戸の人々に親しまれた重要な野菜だったようで、これを椀屋久兵衛が、江戸で評判の葛西菜として上方に取り寄せ、ふるまったともいわれています。以前は関東地方を中心に栽培されていましたが、今では全国に広まり、大阪でも盛んに栽培がおこなわれています。 旬は10〜3月で、「冬菜」「雪菜」などとも呼ばれ、カロテンなどのビタミン類のほか、カルシウム、鉄などのミネラル成分も多く含み、栄養価の高さは野菜の中ではトップクラスです。今日の給食ではツナとともに炒めものとして使用しています。 本日の献立/1月16日(火)![]() ![]() ・ブロッコリーのごまあえ ・黒豆の煮もの ・牛乳 栄養価 エネルギー 722kcal、たんぱく質 33.8g、脂質 17.7g ☆黒豆☆ 黒豆は大豆の一種で、豆の表皮にアントシアニンという色素が含まれているため黒い色をしています。しかし、栄養成分については一般の大豆とほとんど変わりはありません。 平安時代のころには栽培が始まっていたと考えられ、倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう/935年)では、「鳥豆(くろまめ)」の名で記載があるそうです。戦国時代には武士や忍者たちが、黒豆を原料とした「兵粮丸(ひょうろうがん)」と呼ばれる丸薬を非常食として常備していたと言われています。 おせち料理での使用は、こんにゃくと炊き合わせた「座禅豆」という料理が初めてではないかといわれ、現在のように砂糖と醤油を使用した煮豆になったのは、江戸時代の後期ごろからのようです。 黒い色には、魔除けの力があるとされ、邪気を払い災いを防ぐという意味や、黒い色が日焼けをイメージし、勤勉や健康という意味にもつながり、まめに働き達者で暮らせるようにとの願いがこめられ、おせち料理の一部となったようです。 今日の給食では、乾燥した黒豆を熱湯に浸して戻し、砂糖としょうゆで味付けして、鉄釜を使ってじっくり煮込んだ手作りの煮豆として提供しています。 本日の献立/1月15日(月)![]() ![]() ・ぞう煮 ・ごまめ ・牛乳 栄養価 エネルギー 733kcal、たんぱく質 29.0g、脂質 13.6g ☆正月の行事献立☆ お正月には、昔から新年のお祝いと健康と幸せの願いを込めた料理を食べる風習がありました。各ご家庭でも、色々な料理を楽しまれたことと思います。少し遅くなりますが、給食でもささやかながら、毎年、正月の行事献立として実施しており、本日は「ぞう煮」と「ごまめ」を献立に取り入れています。 「ぞう煮」は、室町時代から祝い事や時別な日の料理として食べられていたようで、餅が伸びる様子から、健康と長寿の願いが込められているそうです。「ごまめ」は田作りともいわれ、昔は肥料としてイワシを田にまいたところ豊作になったところから、五穀豊穣の願いがこめられてきたそうです。 本日の献立/1月12日(金)![]() ![]() ・カレーソテー ・りんご ・発酵乳 ・レーズンパン、牛乳 栄養価 エネルギー 806kcal、たんぱく質 37.6g、脂質 22.9g ☆ささみ(笹身)☆ ささみ(笹身)は、鶏肉の胸骨に沿った部分の肉で、形が笹の葉に似ていることが、この名の由来となっています。他の部位に比べて脂肪が少なく、その分たんぱく質を多く含んでいます。くせのない味で、料理にも幅広く利用されています。 今日の給食では、フレーク状で油漬けに加工されたものをカレーソテーに使用しています。 本日の献立/1月11日(木)![]() ![]() ・高野豆腐のいり煮 ・五目汁 ・ごはん、牛乳 栄養価 エネルギー 708kcal、たんぱく質 38.1g、脂質 15.6g ☆牛乳☆ 牛乳には不足しがちなカルシウムをはじめ、たんぱく質や脂質、糖質、ビタミン類なども多く含まれており、中でもカルシウムは他の食品に比べて吸収率の高いことが特徴となっています。だからと言って、なぜ学校給食では毎日牛乳があるのかと聞かれることがあります。これは、学校給食法の施行規則によって毎回提供することになっているためです。 牛乳の飲用は、西洋文化的なイメージをもたれていることが多く、ご飯の食事には合わないと言われる方もおられるようです。しかし、日本での飲用の歴史はかなり古く、飛鳥時代にまでさかのぼり、645年に百済から帰化した智聡(ちそう)の子である善那(ぜんな)が、孝徳天皇に牛乳を献上したのがはじまりとされています。ただ、当時は皇族や貴族の利用に限られており、さらに仏教の影響により、次第に利用されなくなりました。しかし、その後、江戸時代になって、1727年になって徳川8代将軍吉宗が白牛の飼育をはじめ、浪士組(のちの新選組)の結成と同年の1863年には前田留吉が牛乳の販売を始めました。それ以来、一般の人々の間にも牛乳の飲用がはじまり、明治になると西洋文化の導入とともにその利用もさらに広がりました。第二次世界大戦後は、ユニセフから寄贈された脱脂粉乳を利用して学校給食が再開されるなど、日本の食生活の改善に大きな役割を果たしてきました。 |