3年修学旅行 5月15日 その2シーカヤック、バナナボート、遊覧船、ビーチバレーを順に全部体験するという、豪華なメニューです。午前中の雨でぬれたジャージや靴は、体験している間に乾燥させてくれました。至れり尽くせりです。 天気が危ぶまれていましたが、午後から晴れてきて、夕方のお待ちかねは、ローソク島遊覧。夕方、ある時間にだけ、ローソクのような形をした島に夕日がかかってローソクがともっているように見えるという、ロマンチックな光景を何とか見ることができました。でも、少し波があって、船酔いした人が多かったのは残念。 宿舎に入って、楽しみの夕食は、まるでディナーのような豪華版。 そのあと、レクレーション大会をして、風呂に入って…疲れたので爆睡。 3年修学旅行 5月15日まずは、モーモードームで隠岐の古典文化の一つ、「牛突き」を貸切で見せていただきました。本物の牛の迫力にみんなびっくりしていましたが、記念撮影をしたり、触らせてもらったりして、いつのまにか「かわいい〜」と。 午前中の二つ目のメニューはサバイバル体験。なんと、昼の食事を自分たちで準備するというものです。何も取れなければ、食べるものもない?(…ことはなかったですが) まずは、竹でご飯を炊くための容器、飯盒を作りました。このころから雨が降り始め、少し寒くなってきました。でも、みんな頑張りました。ご飯の準備ができたら、釣り、貝取り。 実際には担当者の方がたくさん用意してくださって、鯵、サザエ、肉など食べきれないくらい用意してくださいました。楽しいBBQのひと時でした。そうこうしているうちに雨が上がってきました。 3年修学旅行 5月14日 その2写真上はシイタケを育てるために切り出した木に菌を植え付けたものを並べているところです。なかなかの重労働です。頑張っていました。 写真中は農業では男子も女子もがんばります。草刈りをしています。周りにはレンゲソウがきれいに咲いていましたが、あまり鑑賞している余裕はなさそうでした。 写真下は調理の体験をしていました。夕飯の支度で、イカを細く切っていました。おいしい夕食が作れたのでしょうか。 3年修学旅行 5月14日5月14日水曜、早朝、みんな元気に集合して、バスで境港に。正午直前に高速船は爆音を響かせて出港。(写真上) 一時間半ほどで隠岐の島で最大の島後の西郷港に到着。そこでは町を挙げての歓迎で、民謡しげさ節(写真中)が披露されたり、町長さん直々のあいさつ(写真下)があったりと大歓迎。 そのあと、民泊の班に分かれて、それぞれの家に。どんな体験が待っているのでしょうか。 5月19日の全校集会
19日の校長の話
本校には、韓国・朝鮮やフィリピン、ポーランドなどにルーツを持つ生徒がいます。国際色が豊かですね。素敵なことです。中でも西成区には韓国・朝鮮にルーツを持つ生徒が多いので、民族学級を開設している学校が多数あります。今宮中学校も2008年に大阪市立小中学校の中では105番目に「テナムの会」という民族学級を開設しました。 そして、先週、今年度のテナムの会の開級式を行いました。また、今年度のソンセンニムも決まりましたので、皆さんに紹介します。 ソ・ルンネ ソンセンニムです。 (ソンセンニムのあいさつが終わって) さて、今日の本題。1910年、明治43年の5月19日、ハレー彗星が太陽面を通過し、地球が彗星の尾の中に入りました。そのしばらく前から、全地球のあちらこちらで「地球に衝突する」「酸素がなくなる」、あるいは彗星の尾に含まれる毒ガスで即死するなどのデマでパニックになったといいます。当時の日本の学校でも5分間息を止められたら助かるというので、洗面器に水を張って息を止める練習をしたとか。長いこと息を止められない人は自転車のチューブに空気を入れて吸うために、チューブを買い占めたため、チューブがなくなったとか。 この話を笑えるでしょうか。今の私たちは、彗星の尾はそんな影響がないことを知っていますが、当時はまだ知識が十分ではなかった、あるいは科学知識が普及していなかったため、そういったパニックに陥ったようです。 勉強なんか嫌だし、なんの役に立つのと思っている人も多いと思います。今学んでいるのは、人類がこれまで見つけて積み上げてきた知識の集大成です。これを活用してより良い社会を作っていくこと、また次の世代に伝えていくことがよき地球市民としての我々の使命です。あなたもこの知識の恩恵を受けて安全で安心な、快適な社会で生活できています。そのことに感謝するとともに、さらに新しい知識を見つけ出し、次の世代に伝えていってほしいと思います。 そのためにも、今日もがんばって勉強してください。 |
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