140周年に向けて(3)
摂津国百済郡(せっつのくにくだらごおり)が地名から消えたのは、百済王家が、本拠地を河内国(現枚方市)に移したのが理由でしたが、枚方市にも、現在「百済」の地名は残っていません。しかし、百済王敬福が750年頃に建立したといわれる百済寺跡や百済王を祀る百済王神社が残っています。
また、聖徳太子が、7世紀前半に渡来人のため建立したといわれる百済寺が、奈良県北葛城郡や滋賀県東近江市に残っているそうです。 140周年に向けて(4)
地名に「百済」の名が残る地域がありました。場所は奈良県北葛城郡広陵町です。
この町を流れる曽我川はかつて百済川と呼ばれ、聖徳太子の遺志で建立された百済大寺があったとされています。 地名には、「奈良県北葛城郡広陵町大字百済・・・」という形で残っています。お寺の近くには、百済公民館や百済郵便局がありました。 140周年に向けて(5)
滋賀県東近江市にも、「百済」の名を持つ聖徳太子ゆかりの百済寺(ひゃくさいじ)があります。
湖東三山に数えられる名刹で、桜や紅葉の美しさでも知られています。 周辺には、「百済寺町」として「百済」の文字が地名に残っています。 140周年に向けて(6)
明治7年(1874年)、湯谷島・中野・砂子の三村で、中野村の林覚寺(りんかくじ)の本堂内に、住吉郡第四番小学校を設けました。これが、南百済小学校140年の歴史の始まりです。
明治16年(1883年)、豊(ゆたか)小学校に名が改められます。 この名は、湯里の「ゆ」、鷹合の「た」、中野の「か」からとったということです。 林覚寺は、中井神社に隣接する位置にあります。 140周年に向けて(7)
明治22年(1889年)、町村制の実施で、湯谷島・中野・砂子・鷹合の4村が合併し、南百済村が生まれました。
「百済」の名前の由来は紹介しましたが、村の名前がなかなか決まらなかった時、村に百済と関わりがある酒君塚があったことで、当時の湯里住吉神社の宮司さんが南百済村と命名したそうです。 現在の南百済小学校は、かつての湯谷島村にあります。 湯谷島村は、古代、温泉が湧き出していたことからその名がつき、湯屋の里と呼ばれ、現在の「湯里」の地名は、それを由来としています。 湯里神社に隣接する覚林寺(かくりんじ)には、温泉が湧き出していた井戸の旧跡が現存します。 |
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