140周年に向けて(6)
明治7年(1874年)、湯谷島・中野・砂子の三村で、中野村の林覚寺(りんかくじ)の本堂内に、住吉郡第四番小学校を設けました。これが、南百済小学校140年の歴史の始まりです。
明治16年(1883年)、豊(ゆたか)小学校に名が改められます。 この名は、湯里の「ゆ」、鷹合の「た」、中野の「か」からとったということです。 林覚寺は、中井神社に隣接する位置にあります。 140周年に向けて(7)
明治22年(1889年)、町村制の実施で、湯谷島・中野・砂子・鷹合の4村が合併し、南百済村が生まれました。
「百済」の名前の由来は紹介しましたが、村の名前がなかなか決まらなかった時、村に百済と関わりがある酒君塚があったことで、当時の湯里住吉神社の宮司さんが南百済村と命名したそうです。 現在の南百済小学校は、かつての湯谷島村にあります。 湯谷島村は、古代、温泉が湧き出していたことからその名がつき、湯屋の里と呼ばれ、現在の「湯里」の地名は、それを由来としています。 湯里神社に隣接する覚林寺(かくりんじ)には、温泉が湧き出していた井戸の旧跡が現存します。 140周年に向けて(8)
中野村は、1200年前に弘法大師が伝えたとされる「はり治療」の中野鍼灸院があったことから、その名がつき、「針中野」の地名の由来も同じです。鍼灸院は今も続けられており、「はりみち」と書かれた道標も残っています。
南百済小学校の詳しい歴史は、記念誌に掲載していますので、続きはそちらをお読みください。 ハロー、ルーク先生!!
5月23日(金)、お昼休み、C−NETのルーク先生がブドウ棚のところにいると、1年生の子どもたちが、「ハロー」と話しかけていました。身振りや手振りまじえて、楽しそうにお話していました!!
授業のICT化って??
5月23日(金)、1年生が1時限目教育放送を見ていました。
本校では、各教室に40インチの液晶テレビを置き、活用しています。教育放送やDVDを見るだけでなく、実物拡大機をつないで教科書や資料等を拡大しテレビに映したり、パソコンをつないでインターネット等からの資料を学習に活用できるようにしています。 また、デジタル黒板やタブレット端末を学習に取り入れています。 |
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