みんなの心が1つになる日 〜豊里カーニバル:番外編〜みんなの心が1つになる日 〜豊里カーニバル:番外編〜創立140周年をむかえました臨時に集会を持ち、この豊里小学校の歴史を子ども達に話し、みんなで校歌を斉唱しました。 明治7年に、 「天王寺荘専宗寺(現在の専超寺)内」に豊里小学校の前身が創立されました。 「大阪市立豊里小学校」と改称されたのが、昭和22年、その後、地域の発展とともに多い時には総児童数2,000任を超える大阪一のマンモス校になりました。 その後、 昭和48年に『豊新小学校』が新設され、校区変更。 昭和60年に『豊里南小学校』が分離独立。 昭和62年に『大道南小学校』が新設され、校区変更。 現在に至っています。 古い歴史と伝統を継承することは、 先人から受け取ったバトンを、次の世代に責任を持ってつないでいくことです。 一人一人が、その重みをしっかりと理解し、次の一年、その次の一年と、この豊里小学校の歴史を積み上げてほしいと願っています。 (学校長) ●この後は、子ども達が待ちに待った『豊里カーニバル』です。 子ども達の活動の様子は、またすぐにアップします。 楽しみにしておいてください。 明日の「創立140周年」を前に 〜本校の由来〜以前に、アップした本校の由来をもう一度掲載します。 ぜひ、《 沿革史 》にも、目をお通しください。 (学校長) 本校の学校要覧ならびにホームページの沿革では、 本校は「天王寺荘専宗寺内」にて創立したとの旨が記載されていますが、現在の東淀川区には専宗寺はなく、大道南に専超寺があるので本校の前身は専超寺ではないかというお問い合わせがありました。 また東淀川区ホームページにも専超寺が豊里小学校の前身として紹介されています。 そこで早速、専超寺さんに問い合わせて事の経緯を確かめましたところ…… 現在の専超寺は、戦後まで専宗寺でしたが、諸々の事情で淀川区木川に移転することとなりました。その際、本尊と檀家を継いだ専宗寺住職の弟が専超寺を開基し現在に至っているとのことです。 地域の方に教えられて初めて知ることもたくさんあります。140年の永きにわたり愛され続けてきた豊里小学校のよさをこれからも受け継いでいきたいと思います。 (教務) ●写真は創立100周年記念誌の天王寺荘専宗寺内西成郡第4区2番小学校の挿絵です。 期待してたのに「ごめん」 〜園芸委員会〜
30日(月)の5限は委員会の日。
今日は「園芸委員会」に誤りに行きました。 以前に、お知らせしたように、職員室前の中庭では、学習園以上にいろんな植物や花、野菜が栽培されています。 2週間に一度、責任もって栽培している園芸委員の児童だけが、その収穫物をもらっていたのですが、よくよく考えてみると… 他の委員には何の報酬もなしで委員会の仕事に一生懸命励んでいます。 「新聞委員」も、「飼育委員」も、「運営委員」も… それなのに、一部の委員だけに収穫物を与えるということは不公平感がぬぐえません。 また、学校での収穫物を口にするということ自体が問題になる時代にもなってきました。 「本当にごめん。 大きな期待をしていたやろうけど、収穫物を園芸委員だけにあげるということはやめます。じゃあ、どうするかは、また担当の先生と考えるわな。」と謝りました。 子ども達は、とっては残念でしかたない結果ですが、 小さな声「はい」で理解を示してくれました。 でも、心が痛む。園芸委員のみんな、本当にごめんね。 (学校長) |
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