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140周年に向けて(4)

 地名に「百済」の名が残る地域がありました。場所は奈良県北葛城郡広陵町です。
この町を流れる曽我川はかつて百済川と呼ばれ、聖徳太子の遺志で建立された百済大寺があったとされています。
 地名には、「奈良県北葛城郡広陵町大字百済・・・」という形で残っています。お寺の近くには、百済公民館や百済郵便局がありました。
 
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140周年に向けて(5)

 滋賀県東近江市にも、「百済」の名を持つ聖徳太子ゆかりの百済寺(ひゃくさいじ)があります。
湖東三山に数えられる名刹で、桜や紅葉の美しさでも知られています。
 周辺には、「百済寺町」として「百済」の文字が地名に残っています。
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140周年に向けて(6)

 明治7年(1874年)、湯谷島・中野・砂子の三村で、中野村の林覚寺(りんかくじ)の本堂内に、住吉郡第四番小学校を設けました。これが、南百済小学校140年の歴史の始まりです。
 明治16年(1883年)、豊(ゆたか)小学校に名が改められます。
この名は、湯里の「ゆ」、鷹合の「た」、中野の「か」からとったということです。
 林覚寺は、中井神社に隣接する位置にあります。

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140周年に向けて(7)

 明治22年(1889年)、町村制の実施で、湯谷島・中野・砂子・鷹合の4村が合併し、南百済村が生まれました。
「百済」の名前の由来は紹介しましたが、村の名前がなかなか決まらなかった時、村に百済と関わりがある酒君塚があったことで、当時の湯里住吉神社の宮司さんが南百済村と命名したそうです。
 現在の南百済小学校は、かつての湯谷島村にあります。
湯谷島村は、古代、温泉が湧き出していたことからその名がつき、湯屋の里と呼ばれ、現在の「湯里」の地名は、それを由来としています。
 湯里神社に隣接する覚林寺(かくりんじ)には、温泉が湧き出していた井戸の旧跡が現存します。

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140周年に向けて(8)

 中野村は、1200年前に弘法大師が伝えたとされる「はり治療」の中野鍼灸院があったことから、その名がつき、「針中野」の地名の由来も同じです。鍼灸院は今も続けられており、「はりみち」と書かれた道標も残っています。
 南百済小学校の詳しい歴史は、記念誌に掲載していますので、続きはそちらをお読みください。
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