土曜授業・ふれあいデー1学校に来た子どもたちの顔つきが、いつもとどこか違いました。わくわくしているような、ドキドキしているような。運動会や、ほかの行事とはまた違う高揚感が伝わってきました。 今日は地域の方や、おうちの方々と様々なゲームや遊びでふれあう日。学年で取り組む場面と全校児童で取り組む場面があり、午前中の学習は盛りだくさんです。 低学年の「保護者とのふれあい活動」では運動会で1年生がやった、「ダンシング玉入れ」をしました。(写真上)踊りと玉入れの組み合わせは、緊張と緩和の割合がちょうどよく、盛り上がりました。 「地域の人へのありがとう集会」では、見守り活動や、たそがれフェスティバルなどでお世話になっている方々を招いて、縦割り班に入っていただきゲームをやったり歌を歌ったりしました。(写真下)感謝の気持ちが伝わったでしょうか。 土曜授業・ふれあいデー24年生はリクリエーションゲームです。ちびまる子ちゃんのテーマでダンスや、じゃんけん列車をしました(写真上)。 5年生は体育館でドッジボールです。おうちの方とするといつもとは違う盛り上がり方でした(写真中)。 6年生はかんたんクッキングをしました。フレークに生クリーム、上にフルーツやポッキーを盛り付けておいしくいただきました(写真下)。 運営面でPTAの学級委員会の皆さんを中心にご尽力いただき、何とか有意義な学習にできました。初めての取り組みで勝手のわからない中、大いにお手を煩わせましたが、今後ともよろしくお願いします。 5・6年秋の遠足近年、舎利寺小学校の遠足で行っていなかった万博記念公園を、今年は秋の遠足に選びました。 電車に乗っている時間も長く、乗り換えも多かったので、担任の先生たちは生き帰りの交通マナーについて十分諭したうえで臨みました。しかし駅までの歩行でちょっとしたおふざけが危険なことにつながる場面がありました。 遠足の途中でしたが、担任の先生方はすぐに全体指導を行いました。 遠足で、教師が一番大切にすることは何か?という問いにはいろいろな答えがあるのかもしれませんが、何より「安全に帰ってくること」をあげる方がいます。 その通りだと思います。いろいろ学ばねばならないことがありますが、それなくしては校外に出ること自体が間違いになってしまいます。 子どもたちの安全も大切ですが、子どもたちがほかの人の安全を損なうことになるというのも、もちろん一番避けなければならないことです。 今回起こったことで、何を反省し、次にどう生かすのか、子どもたちとともに教師も真摯に向き合って学びに代えようと思います。 さて、大阪万博は保護者のみなさんにとっては、なにがしか子ども時代の記憶として残っているでしょうが、今の子どもたちにとってはイメージしにくいみたいです。「映画で観た」という子もいましたが、「それって『20世紀少年』のことかな?」と思って聞いていました。 園内はきれいに手が入っており、自然観察も楽しくできました。5・6年の縦割り班でのグループ行動も協力してできました。惜しむらくはお弁当の時、めあてから大きく外れる自分勝手な行動を一部がとってしまったことですが、行きの反省もあり、帰りの通行では大変マナーよくできました。 帰校時、5・6年合同の帰りの会では5年生から「帰りの6年生の後ろ姿が頼もしかった」という意見が出ました。やればできる6年生。そういう姿を卒業までにたくさん後輩たちに見せてもらいたいです。 あべの防災センター4年生4年生があべの防災センターへ社会見学に行きました。 以前土曜授業でも防災に関する学習をしましたが、今回はそのよい復習になったと思います。 特に南海トラフ大地震については改めて防災意識を高めることができました。 児童の皆さんが生きている間にはほぼ間違いなく起こるといわれている、この大地震。現在の人間の文明をもってしても防ぐことは不可能で、予測すら難しいのが現状です。 生命や財産の損失をいかに減らしていくかということは日常の防災に対する意識を高めるしかありません。むやみに恐れるということではなく、いざというときに自分がどうふるまい、どのように心をコントロールするかが大切です。 残念なことに、東北の大地震は言うに及ばず、近年数々の自然災害が起こり続け、傷がいえる間もなく悲劇が繰り返されています。 このことが何を意味するのかも考えさせられるところですが、人間ができることはそれほど大きなことではないように思います。 災害から目をさらさず、正しく知ること、そこから考えること、まなぶこと、そして行動につなげること。あたりまえのことを積み上げる大切さを子どもたちには伝えていきたいです。 3・4年春の遠足3・4年は、東大阪は瓢箪山にある市立埋蔵文化財センター「発掘ふれあい館」を訪れています。 瓢箪山駅からはずっとアーケードもあり、一日このセンター内の活動なので雨で活動できなくなる心配はほとんどなかったというものの、台風も近づいており懸念はありましたが、晴れ間が広がり、日中は暑いくらいです。 センターでは、縄手遺跡を中心とした考古学的資料の展示のほかにも、勾玉(まがたま)づくり(写真上)や、火おこし体験などの、体を使う学習に取り組むこともできます。 古代の人々はどんな思いで勾玉を磨いたのでしょう。機会もなく道具も不十分な中で気の遠くなるような時間をかけて作り上げた装飾品(宗教的な意味合いの方が強いのかもしれませんが)に対しては、きっと並々ならぬ思いが込めれていたのではないでしょうか。 我々の今の生活では、その思いとひき比べられる体験がなくなってきているように思います。 また、火を使うという、ほかの生物と人間との一番大きな違いについての体験も貴重です。大昔、人間以外も、自然発火による山火事などはあり火の存在を知っていました。恐ろしいものでしかないはずの火を人間は利用しようと試み、しかも自ら生み出す方法を考え付きました。 やってみればわかるのですが、方法を知っているだけではなかなか火はおこりません。言い表せないようなコツがあり、根気よく試行錯誤しなければなりません。古代の人々の苦労が推し量れます。それほどまでして火を欲したのでしょう。 現代の火、といえば、私は各種のエネルギーや、兵器を思い浮かべます。 この火は、古代の人々の欲した火の、延長線上に、果たしてあるのでしょうか。 今日の体験を、お子様とじっくり語り合ってみてください。 |