学校給食から「牛乳」が消える…??先日児童から、 「校長せんせぇ、9月から給食の牛乳なくなるんやろぉ。お父さんが言ってた。」と聞かれてびっくり。 「いいや、何もかわれへんで」と答えたものの、不安になってすぐに検索。 6月29日(月)のニュースになっていました。 でも、実施するのは、新潟県三条市。 ご飯に合わない牛乳の提供を試行的に中止するというものでした。 ただ、牛乳が全面的になくなるのではなく、 一日に必要なカルシウム等の栄養摂取量を保つため、「ドリンクタイム」として、別の時間に牛乳の提供は続けるということでした。 大阪市の給食から「牛乳」はなくなりません、今のところ…(笑) ご安心ください。 (学校長) 7月1日、今日は本校の『創立記念日』です今日、7月1日は、 本校の『創立記念日』、今年で創立141周年を迎えました。 「学校沿革史」によると、明治7年に、 「天王寺荘専宗寺(現在の専超寺)内」に豊里小学校の前身が創立されました。 「大阪市立豊里小学校」と改称されたのが、昭和22年、その後、地域の発展とともに多い時には総児童数2,000人を超える大阪一のマンモス校になりました。 その後、 昭和48年に『豊新小学校』が新設され、校区変更。 昭和60年に『豊里南小学校』が分離独立。 昭和62年に『大道南小学校』が新設され、校区変更。 現在に至っています。 古い歴史と伝統を継承することは、 先人から受け取ったバトンを、次の世代に責任を持ってつないでいくことです。 一人一人が、その重みをしっかりと理解し、次の一年、その次の一年と、この豊里小学校の歴史を積み上げてほしいと願っています。 (学校長) 昨年、 本校の学校要覧ならびにホームページの沿革では「天王寺荘専宗寺内」にて創立したとの旨が記載されていますが、現在の東淀川区には専宗寺はなく、大道南に専超寺があるので本校の前身は専超寺ではないかという問い合わせがありました。 確認すると、東淀川区ホームページにも専超寺が豊里小学校の前身として紹介されておりました。 そこで早速、専超寺さんに問い合わせて事の経緯を確かめましたところ…… 現在の専超寺は戦後まで専宗寺でしたが、諸々の事情で淀川区木川に移転することとなりました。その際、本尊と檀家を継いだ専宗寺住職の弟が専超寺を開基し現在に至っているとのことです。 地域の方に教えられて初めて知ることもたくさんあります。140年の永きにわたり愛され続けてきた豊里小学校のよさを受け継いでいきたいと思います。 ●写真は創立100周年記念誌の天王寺荘専宗寺内西成郡第4区2番小学校の挿絵です。 (学校長) 毎回、チェックを入れていますが…ホームページ写真掲載については、保護者の方々のご希望に沿うよう毎回チェックを入れていますが、漏れがないとも限りません。 特にこの時期は、児童の顔と名前がまだ一致していないために、ご迷惑をおかけすることがあるかもしれません。 特に、今回の『豊里カーニバル』については、 異年齢集団での活動のため、児童の所属学年が判別しにくく、もし不都合な写真が掲載されていた場合には申し訳ありませんが、すぐにご連絡ください。 どうぞよろしくお願いいたします。 (学校長) すべりやすい足元に注意してください7月1日(水)、 一年もはや折り返しの今日、朝から久しぶりの大雨、大粒の雨が降り続いています。 雨でぬれた道路は滑りやすく、カサを指しているため視界もずっと狭くなっています。 登下校には十分注意するように、お子様にもご指導ください。 ●事務室前も一挙に冠水し水浸しですが、「側溝清掃」の力か前回の大雨の時に比べるとずっとマシです(笑) (学校長) 上級生に導かれて 〜豊里カーニバル〜各学年・各クラスのお店を回るのは、すべて上級生が引率。 しっかりと班員をまとめて動く姿に、たくましさを感じます。 それでも… 迷子になってしまう下級生も。 職員室前が「迷子センター」になっていました。 (学校長) |
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