8/18 八幡屋地域巡り 大阪臨港線跡1
校区内にも貨物線の路線があり、蒸気機関車やディーゼル機関車に引かれた貨車が走っていました。
1956年(昭和31年):浪速駅(港区福崎)―大阪東港駅(港区港晴5)間が開業。 1986年(昭和61年):浪速駅―大阪港駅間、浪速駅―大阪東港駅間が正式に廃止。 上段:八幡屋小学校北西角の案内看板(昭和52年)。右下に貨物線の線路が書かれています。 中段:八幡屋小60周年記念誌(昭和59年)の写真。中央下に三十間堀川の鉄橋が写っています。 下段:昭和36年頃の地図。左側に貨物線。中央東西に走る港通りには市電の線路があり、朝潮橋には市電の港車庫がありました。 8/18 八幡屋地域巡り 大阪臨港線跡2
上段:八幡屋から道1本渡った港晴にある線路跡?。
中段:道の右脇には切断された線路が埋め込まれています。 下段:八幡屋4丁目の通称「船公」公園の展望台から見ると、福崎側に鉄橋を支えていたコンクリートの台の部分が残っています。 8/18 八幡屋地域巡り 大阪臨港線跡3
上段:千舟橋(港晴2)付近を走る蒸気機関車。向こう側に通過を待っている市電の電車が見えます。
中段:現在の千舟橋。奥の橋脚付近に貨物線の線路がありました。 下段:市電の港車庫(昭和43年頃)。昭和29年に新設され、昭和36年に地下鉄建設のため縮小された後、昭和43年に廃止されました。 8/17 八幡屋地域巡り 三十間堀川舟入り1
上・中段:校区内には、三十間堀川につながる船置き場があり、漁船が停泊しています。
下段:大阪市漁業組合港支部だった?建物もあります。 8/17 八幡屋地域巡り 三十間堀川舟入り2
船溜まりの堤防の下には、漁業の安全を願ったのか祠(ほこら)がたくさんあります。築港から移転してきた漁師町で、昔は魚市場もあったそうです。
下段:波除地蔵。川から流れ着いた木製の地蔵が起源ですが、空襲で焼失し、石製の地蔵は2代目です。昔行われていた地蔵盆の盆踊りは盛大だったそうです。 |
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