季節は冬となりました。日々気温が下がります。手洗いとうがいの遂行を心がけましょう。

大正区のあけぼの その5

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 当時、工業化の最先端を走っていた大正区。

 区の名前は、市電の通る「大正橋」からでした。
 この橋ができるまでは、渡船による移動だけが頼りでした。

 今の新しい大正橋には、何と、ベートーベンの第九がほどこしてあるそうです。

 そして、北村のあたりには、今は姿を消してしまった「貯木池」が広がっていました。

 やがて、大正運河や貯木池は土地整備計画で姿を変え、昭和山や大正北中が誕生して行ったわけです。

 曽我先生にとって、大正区は第二の故郷。
 そして、何度も登られた自然豊かな昭和山は、心のオアシスだそうです。

 ご講演ありがとうございました。

大正区のあけぼの その4

 勘助は、三軒家の開発だけでなく、大坂冬の陣の死者を葬ったり、貧しい人々を救うために私財をなげうち、また蔵破りまでおかした、ほんまもんの偉人だったようです。

 やがて、江戸時代、四期に分けて、新田開発が進み、幾多の洪水との戦いが始まります。「泉尾新田」「北恩加島新田」「千島新田」・・・。

 近代化の明治に入り、三軒家に紡績工場が登場します。
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大正区のあけぼの その3

 大阪平野を作り上げる、土砂を運んだ淀川や大和川の動き。

 木津川と尻無川の土砂がたまり、大正区ではお馴染みの中村勘助(木津勘助)の開発が始まります。
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大正区のあけぼの その2

 お話は、大昔の大阪の成り立ちから始まりました。

 歴史を紐解くと、知らなかったことや面白いことが、わんさかわんさか、いっぱい出てきます。

 河内湾、河内潟、河内湖・・・。仁徳天皇の治水工事。

 曽我先生は、郷土歴史家のごとく、わかりやすくお話しいただきました。
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大正区のあけぼの

 本日、大正コミュニティーセンターで、「大正区歴史を語る会」主催の講演会が行われました。

 メインは、三軒家東小学校の元校長の曽我正男先生による「大正区のあけぼの」のご講演でした。
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