大正区のあけぼの その4
勘助は、三軒家の開発だけでなく、大坂冬の陣の死者を葬ったり、貧しい人々を救うために私財をなげうち、また蔵破りまでおかした、ほんまもんの偉人だったようです。
やがて、江戸時代、四期に分けて、新田開発が進み、幾多の洪水との戦いが始まります。「泉尾新田」「北恩加島新田」「千島新田」・・・。 近代化の明治に入り、三軒家に紡績工場が登場します。 大正区のあけぼの その3
大阪平野を作り上げる、土砂を運んだ淀川や大和川の動き。
木津川と尻無川の土砂がたまり、大正区ではお馴染みの中村勘助(木津勘助)の開発が始まります。 大正区のあけぼの その2
お話は、大昔の大阪の成り立ちから始まりました。
歴史を紐解くと、知らなかったことや面白いことが、わんさかわんさか、いっぱい出てきます。 河内湾、河内潟、河内湖・・・。仁徳天皇の治水工事。 曽我先生は、郷土歴史家のごとく、わかりやすくお話しいただきました。 大正区のあけぼの
本日、大正コミュニティーセンターで、「大正区歴史を語る会」主催の講演会が行われました。
メインは、三軒家東小学校の元校長の曽我正男先生による「大正区のあけぼの」のご講演でした。 天国への旅立ち地域の皆様に愛される偉大な方が、天国に旅立ちました。 あまりにも早すぎる旅立ちでした。 伝統の店の味を守り、新しい和菓子を開拓して、日本の良さを広げるとともに、大正区の活性化、PTA会長として小学校・中学校の教育に貢献されました。 告別式で、多くの参列された皆様が、悲しみの、悔しさの涙を流されました。 これを勲章に、持ち前の笑顔で往かれたと思います。 皆様に愛された会長様。これまで、本当に多大なるご支援をいただき、ありがとうございました。 心より、ご冥福をお祈りいたします。合掌。 |
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