2学期が始まりました。文化祭を成功させましょう!

全国人権同和教育研究大会

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昨日から本日、大阪を会場に、全国人権同和教育研究大会が行われています。
会場の一つ、五条小学校の体育館は、先生方の子どもに対する熱い思いで、熱気ムンムンです。

27日(日) 雨の日曜日

 行楽日和から一転、雨の日曜となりました。

 テスト前ですから好都合でしょうか。
 二学期の総決算、しっかり努力を!
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大正区のあけぼの その5

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 当時、工業化の最先端を走っていた大正区。

 区の名前は、市電の通る「大正橋」からでした。
 この橋ができるまでは、渡船による移動だけが頼りでした。

 今の新しい大正橋には、何と、ベートーベンの第九がほどこしてあるそうです。

 そして、北村のあたりには、今は姿を消してしまった「貯木池」が広がっていました。

 やがて、大正運河や貯木池は土地整備計画で姿を変え、昭和山や大正北中が誕生して行ったわけです。

 曽我先生にとって、大正区は第二の故郷。
 そして、何度も登られた自然豊かな昭和山は、心のオアシスだそうです。

 ご講演ありがとうございました。

大正区のあけぼの その4

 勘助は、三軒家の開発だけでなく、大坂冬の陣の死者を葬ったり、貧しい人々を救うために私財をなげうち、また蔵破りまでおかした、ほんまもんの偉人だったようです。

 やがて、江戸時代、四期に分けて、新田開発が進み、幾多の洪水との戦いが始まります。「泉尾新田」「北恩加島新田」「千島新田」・・・。

 近代化の明治に入り、三軒家に紡績工場が登場します。
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大正区のあけぼの その3

 大阪平野を作り上げる、土砂を運んだ淀川や大和川の動き。

 木津川と尻無川の土砂がたまり、大正区ではお馴染みの中村勘助(木津勘助)の開発が始まります。
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