1・19(木)給食アラカルト!アンケートの結果発表やクイズも楽しかったですね。調理員さんにインタビューして給食の秘密も知ることができました。給食のことがたくさん知れた今日の給食委員会の発表。明日からも感謝の気持ちで「いただきます!」 1・18(水)大阪市小学校教育研究会都島支部教員研究発表会で発表してまいりました。「考える力・表現する力を育む算数科の指導はどのようにすればよいのか〜自分の考えを伝え合う活動の工夫〜」をテーマに、算数の授業の様子、ノートの書き方について、日々の宿題のあり方、習熟度別少人数指導について、ICT機器をいかした授業の取り組み等について発表しました。 今回の研究の財産を今後の子どもたちの学ぶ力にさらにいかせるように、日々研修に努めてまいります。研究発表会に際し、下校時刻変更等にご協力いただきましてありがとうございました。 1・17(火)君は、いろとりどりが飛んでいるのを見たことがあるか!?
1月の玄関掲示は3・4年生の担当。「いろとりどり」!
中野小学校、441人441色に輝きましょう。 1・16(月)なかのだより1月号1・16(月)今週のバーズ・トーク〜22年前の出来事。そして、土曜日は防災学習です。〜
みなさんおはようございます。明日は1月17日、校長先生はこの日を絶対に忘れません。22年前の平成7年(1995年)年1月17日、ちょうど今年と同じ火曜日でした。朝5時46分に神戸市を中心に阪神淡路大震災と言われる大地震が起こったんです。6000人以上の人が亡くなるという大変な地震だったんですが、当時は神戸の三ノ宮から地下鉄で30分くらいの名谷駅近くの竜が台というところに住んでいました。
地震と言っても、この地震は横に揺れるのでは無く縦に揺れて、体が下から突き上げられるような揺れでした。揺れが落ち着いて、大きな被害が無いのを確認して、三ノ宮に自転車で向かいました。須磨離宮公園の横を通って大きな道まで出て三ノ宮に向かいました。下に降りていくほど被害が大きくなって三ノ宮の当時勤務していたお店は完全に崩れていました。 まあ、昔の話はこれくらいにして、ではあれから22年、環境はどのように変わったのでしょう。ちょっと考えてみました。まず一つ目は、この時の亡くなった方のほとんどが建物が崩れた事による圧死だった事から建物の耐震基準が変わって、今ではかなり地震に強い家や補強のされた建物になっています。学校とかショッピングセンターなど人の集まるところはほとんどが地震に強くなっています。二つ目は情報化が進んで、地震の予測は不可能ですが、緊急地震速報などが伝わるようになりました。昨年の鳥取地震の時は情報が早く伝わりましたね。そして、三つ目はこれが一番大きいと思いますが、地域をあげての地震に対する訓練をするようになりましたね。この中野地域でも中野小学校、都島中学校が避難場所になっているので避難訓練が行われました。いつ起こるかわからない地震、訓練は繰り返し繰り返ししていく必要があります。 今週は土曜日が防災教育の日です。消防署の方とか大阪医大の先生が来てくださって色々教えてくださいます。煙の中を通ったり、AEDを使ったり、ビデオを見たりします。地震などが起こったら、まず自分を守る。自分が大丈夫なのが確認できたら周りの人を助ける。非常に大事な事なのでよく覚えておきましょう。お話終わります。 |
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