2月22日(水)朝 3年学年集会では、来月14日(火)の「卒業式」を中学校生活3年間の集大成として、全員が笑顔で迎え、そして厳粛で感動的な素晴しいものにしましょう。という呼びかけを行いました。
また、月曜日の全校集会で、校長先生からタレント春名風花さんの「いじめている君へ」の紹介がありましたが、高校1年になった春名さんが昨秋Twitterに投稿された「いじめに関する指摘」についても紹介を行いました。
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“はるかぜちゃん”こと 春名風花さんの
《いじめられている方にも原因がある》と考えている人に対する指摘
(Twitterの複数記事を再構成しています。)
おはようございます!部屋を片付けたらバイキングの進行台本がでてきました。このとき番組内で「いじめられる方にも原因がある」って議題があったんだけど「原因がある」と言ってた人たちに聞いてもらいたい話があるので、ちょっとだけ書きます。
いじめられる側に原因があるか聞かれたら完璧な人間はいないのである、と答えざるをえません。けれどそれは、いじめる側が原因を相手の中に「見つけた」だけのことだと思います。まずいじめる側に、誰かをいじめたいという目的(結果)があって、その目的に向かって、原因を探し出されたのです
1 少し自分語りをします。ぼくが小学校のときに声優を目指していると言ったら、ある人が「テレビのバラエティにしか出ていないくせに」「声優学校にも行っていないくせに」と言って、ぼくのことを笑いました。
2 そのあと、ぼくは声優学校に通える年齢になったので声優のレッスンに通いはじめました。するとその人は「いくら声優のレッスンだけ受けても、テレビに出ているやつなんかダメだ。本気で声優になりたい人は真剣に舞台で芝居をやっているんだ」と言って、ぼくのことを笑いました。
3 そのあと、ぼくは偶然にも舞台と出会い、すっかり舞台の面白さにハマり、いま舞台のお仕事をしているのですが、その人は「あいつは落ちぶれてテレビにも出してもらえなくなって、小劇場にしか出られなくなったから、声優になんかなれない。」と言って、やっぱりぼくのことを笑っています(笑)
4 何が言いたいかというと、いじめられる側からいくら「いじめる人に言われる原因」を取り去ったとしても、その人の中にある、他人をいじめたいという「結果」が変わらない限り人は、永遠にいじめられ続けるのです
いま、誰かにいじめられていて「自分にも原因があるから仕方ない」とか、「悪いところをなおせばいじめられなくなるかも知れない」とか考えて苦しんでいる人がいたらぼくの1から4までの話を何度か繰り返し読んで、3のところで思い切り吹き出してみてください。
これを読めば、変わる必要があるのはいじめられる側ではなく、いじめる側であるということ。そして、いちいち人の意見に振り回され、他人の望む自分になることのバカバカしさが分かるでしょう。
今の自分を変えたいと思う、それはとても素敵なことだよ。誰だって今日より明日の自分がかっこよくなった方が嬉しい…でもそれは自分自身のためにやってください!「いじめられない自分」ではなく、「自分がなりたい自分」を目指して、その姿に少しでも近づけるよう、頑張ろうね(*´ω`*)
いじめられる側に原因があるのは、いじめる側に「いじめをしたい」という結果があるからです。原因があって結果があるのではなく、結果があって原因がある。いじめる人が変わらなければ、いじめられる人がいくら努力してもいじめが無くなることはありません。自分の人生を生きてください。