今日は、大阪市全体で「いじめについて考える日」です。
先日の全校集会で、一人一人が居心地のよい学級にするために、「自分がされてうれしいことを他の人にしてあげよう。自分がされて嫌なことは他の人にしないようにしよう」というお話をしました。このことができていれば、いじめは起きないと思うのですが、これまでの事例を見ていると、自分がしたことによって相手がどのような気持ちになるのか、そこに考えが及ばない人、それが感じられない人がいることが問題ではないかと思います。
昨年度、いじめについて春名風花さんの「いじめている君へ」という文章を紹介しました。2年生3年生の人は覚えてくれていると思います。今日は、松谷みよ子という人が書いた絵本「わたしのいもうと」を読んでみたいと思います。
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「わたしのいもうと」 松谷みよ子
この子は
わたしの いもうと
むこうを むいたまま
ふりむいて くれないのです
いもうとのはなし
きいてください
いまから 七年まえ
わたしたちは この町に
ひっこしてきました
トラックに のせてもらって
ふざけたり はしゃいだり
アイスキャンディを なめたりしながら
いもうとは 小学校四年生でした
けれど てんこうした学校で
あの おそろしい いじめが
はじまりました
ことばが おかしいと わらわれ
とびばこが できないと いじめられ
クラスの はじさらしと ののしられ
くさい ぶたと いわれ
−ちっとも きたない子じゃないのに
いもうとが きゅうしょくを くばると
うけとってくれないというのです …
とうとう だれひとり
口をきいてくれなくなりました
ひと月たち
ふた月たち
えんそくに いったときも
いもうとは ひとりぼっちでした
やがて いもうとは
学校へ いかなくなりました
ごはんも たべず
口も きかず
いもうとは だまって どこかをみつめ
おいしゃさんの手も ふりはらうのです
でも そのとき
いもうとの からだに
つねられた あざが たくさんあるのが
わかったのです。
いもうとは やせおとろえ
このままでは いのちがもたないと
いわれました
かあさんが ひっしで
かたくむすんだ くちびるに
スープを ながしこみ
だきしめて だきしめて
いっしょに ねむり
子もりうたを うたって
ようやく いもうとは
いのちを とりとめました
そして
まい日が ゆっくりと ながれ
いじめた子たちは
中学生になって
セーラーふくで かよいます
ふざけっこしながら
かばんを ふりまわしながら
でも いもうとは
ずうっと へやにとじこもって
本も よみません
おんがくも ききません
だまって どこかを 見ているのです
ふりむいても くれないのです
そしてまた としつきがたち
いもうとを いじめた子たちは
高校生
まどのそとを とおっていきます
わらいながら
おしゃべりをしながら…
このごろ
いもうとは おりがみを
おるようになりました
あかいつる あおいつる しろいつる
つるに うずまって
でも やっぱり ふりむいては
くれないのです
口を きいてくれないのです
かあさんは なきながら
となりのへやで
つるを おります
つるを おっていると
あの子のこころが
わかるような きがするの…
ああ わたしの家は つるの家
わたしは のはらをあるきます
くさはらに すわると
いつのまにか わたしも
つるを おっているのです
ある日 いもうとは
ひっそりと しにました
つるを てのひらにすくって
花といっしょに いれました
いもうとのはなしは
これだけです
わたしを いじめたひとたちは
もう わたしを
わすれて しまった でしょうね
あそびたかったのに
べんきょうしたかったのに