グラウンドはもう夕日にこの時間でもう夕日は真っ赤に沈んでいきます。 グラウンド整備が終わって今日は少し遅れて活動が始まりました。 ラグビー部の活動ラグビー部はパスの練習から組織的な動きにつながる練習をしています。 英語部の活動英語部はLL教室で自分たちのスキルアップを計画的に進めています。 人権研修 後半にはビデオ上映内梨先生からの最後の言葉が印象的でした。 どうか自分を大切にして欲しい。生きたくて、生きたくて、どれほど、生きたくても生きられなかった真帆。でも、こんな想いを残してこの世を去っていかなくてはいけない人は沢山居ます。自分の命を落としたり、傷つけたりすることは勿論のこと、軽々しく「殺す」「死ね」なんてこと口にしないで欲しい。 そして真帆さんは「奇跡は起きるものでは無く起こすもの」と口にしていたらしいのですが、ほとんど身体の機能が失われた状態で、微かに動く手で書いてくれた言葉。 「生んでくれてありがとう。幸せだった」 内梨先生の強い強い思いが生徒たちに伝わってきたそんな人権学習でした。 身を乗り出して本当に真剣に聞き入った姿もあり、生徒達は教室へ行っても泣き続けてしまう様子も見受けられました。 命の大切さをしっかりと心に刻んだ研修となりました。 人権学習この時間は人権学習会を行っています。 真帆〜あなたが娘でよかった〜 内梨昌代・真帆 著 前例のない20回の手術。壮絶な治療。再発につぐ再発で失っていく機能。それでも真帆は、常に死と背中合わせになりながら、多くの人に勇気を与え続けた。20歳の真帆は最後まで医師になる決心をあきらめなかった。「大切なのは生の内容だよ」。そのことばとともに…。真帆さんが小学校6年生の時に発見されてから、壮絶・奇跡の闘病8年。20歳の真帆は天国へと旅立った。 この本の著者で真帆さんのお母様、内梨昌代先生に来て頂いてご講演をいただきました。 内梨昌代さん 養護教諭・看護師免許を同時に取得。81年4月から大阪市立十三中学校、86年4月から大阪市立平野養護学校勤務、障害児の教育に携わっている。その後、大阪市立汎愛高等学校、大阪市立高等学校に養護教諭として勤務 内梨真帆さん 12歳で脳腫瘍を発病以後闘病8年、未完の闘病記を遺し、2005年1月23日没 |