実力テスト 〜3年生〜
6日(金)3年生は、昨日の大阪統一テストに続き、実力テストを受けています。
来週は、中間テスト。 今週、来週はテストが多いですが、頑張りましょう! 元気アップテスト前学習会
いよいよ中間テストに向けて、元気アップテスト前学習会が始まりました。
60名を超える生徒が、部屋を分けて、学習しています。 3連休も、毎朝9:30〜11:30に図書室にて行なっていますので、 どうぞ参加してください。 大阪市統一テストを受験しました。 〜3年生〜
10月5日 3年生は大阪市統一テストを受験しました。
結果は約一か月後に出ます。 続いて6日は実力テストです。 頑張りましょう。 本日の献立/10月5日(木)・鶏肉とじゃがいもの煮もの ・キャベツの甘酢あえ ・のりの佃煮 ・ごはん、牛乳 栄養価 エネルギー 777kcal、たんぱく質 33.9g、脂質 17.9g ☆栄養素について「たんぱく質」☆ たんぱく質は英語で「プロテイン(protein)」といいます。これはギリシャ語の「一番大切なもの」というような意味の言葉が語源となっています。この言葉の通り、たんぱく質は筋肉だけでなく、内臓、皮膚、血管、髪の毛、爪、骨、血液などの構成成分であるほか、各種ホルモンや酵素、神経伝達物質、免疫物質などの原料となっており、欠かすことのできない栄養素です。人体を構成するたんぱく質は、約20種類のアミノ酸で構成され、体内で結合、分解することで、新陳代謝を繰り返し、私たちの体はつねにつくりかえられています。 約20種類のアミノ酸のうち、成人の場合8種類、子どもの場合9種類は人体内で合成されず、食品からの摂取が必要となり、これらを必須アミノ酸と呼んでいます。リジン、トリプトファン、フェニルアラニン、ロイシン、イソロイシン、スレオニン、メチオニン、バリンの8種類と子どもの場合のヒスチジンが必須アミノ酸となり、どれか一つでも不足すると不足しているアミノ酸の分量の分しか合成が進まないため、ほかのアミノ酸はたくさん摂っていても、すべて無駄になってしまいます。このため、様々な食品からバランスよくとる必要がでてくるのです。 「良質のたんぱく質」という言葉をよく耳にすると思いますが、たんぱく質の「質」は、9種類の必須アミノ酸が、適切な割合でどれだけ含まれているかによって評価されます。肉類、魚類、卵類、大豆・大豆製品、牛乳・乳製品などのたんぱく質は基準となるアミノ酸の組成を満たしているので、良質のたんぱく質ということができます。 サプリメントにより簡単にとることができると思う方もあるかもしれませんが、この場合、たんぱく質だけのことになり、他の栄養素や運動量などについても考慮しないと全体的な栄養バランスを崩す原因となります。 私たち人類は、長い歴史の中で、自然の中から食品をとり、その栄養素を取り入れることで、生命や健康を維持できるようにつくりあげられているということを念頭において、その生活の方法を考え直す必要があるのではないかと思います。 本日の献立/10月4日(水)・枝豆 ・筑前煮 ・さといもの煮もの ・小松菜とはくさいのおひたし ・すまし汁 ・ごはん、牛乳 栄養価 エネルギー 751kcal、たんぱく質 31.0g、脂質 15.6g ☆お月見☆ 今年の「お月見」は、10月4日です。これは、旧暦の8月15日の月を鑑賞する行事です。満月の日とも思われていますが、昔の天文学のためか誤差がみられ、実際の満月とは2日程度ずれることがあり、今年の場合、満月は10月6日になっています。この日の夜を「十五夜」、その月を「中秋の名月」と呼び、一年で最も美しいとしています。「中秋」というのは、旧暦では7月〜9月が秋となっており、その真ん中の日という意味です。「仲秋」と混同することもありますが、こちらは秋の中旬である8月のころを示し、7月は「初秋」、9月が「晩秋」というふうに分けられます。 また、十五夜のあと月の出が少しずつ遅くなることから、16日はためらうという意味から「十六夜(いざよい)」、17日の月は立って待つという意味で「立待月(たちまちづき)」、18日は家で座って待つ「居待月(いまちづき)」、19日は寝て待つ「寝待月(ねまちづき)」、20日は夜が更けないと出てこないので「更待月(ふけまちづき)」など他の日にも呼び名があり、昔から月に対して親しみを感じていたことがわかります。 月見の風習は平安前期の貞観年間(じょうがんねんかん/859〜877年)に中国から伝わったとされ、延喜(えんぎ)19年(919年)には、日本独特の十三夜(旧暦9月13日の夜)の月見も催されるようになりました。当時は、貴族社会での行事で、歌や音楽を楽しみ酒を飲むといったものでしたが、室町時代の後期には月を拝み、お供えをするといった行事に変化していったようです。一般庶民にも広がりを見せたのは江戸時代になってからのようで、季節の収穫物であるサトイモや、団子をお供えするようになりました。供え物の団子は、関西ではサトイモの形にしたもの、関東では球形のものが使われますが、そのころから違いがあったようで、江戸時代後期に喜田川守貞(きたがわもりさだ)が、当時の風俗などを記した「守貞漫稿(もりさだまんこう/1837年〜)」にも記載されています。 今日の給食では、お月見の日に因んで、さといもの煮ものを献立に加えています。 |