3年生・道徳・・・その後「お母さんの思いに支えられて、先生はいまを生きている」。静まりかえった大阪市立南中の教室に17日、老田(おいた)望教諭(34)の声が響いた。23年前の阪神大震災で母の栄子さん=当時(47)=を失った。教師になって10年。授業で初めて、生徒にあの日のことを話した。 「もしドラえもんがタイムマシンを出してくれたら、先生には戻りたい日がある」。小学5年だった平成7年1月16日。「その日の晩に限ってお母さんと、お休みなさいのハグをしなかった。一緒の布団で寝なかった。23年間、ずっと後悔してんねん」 翌朝、神戸市灘区の自宅を激しい揺れが襲う。2階で寝ていたはずなのに、部屋の扉を蹴破ると足元には地面、頭上には空が広がっていた。母が寝ていた1階部分が見当たらない。「誰か、助けてください」。夜明け前の町で1人、声をからした。動かなくなった母が運び出されたのは、その数時間後のことだ。 これまで、つらい記憶に正面から向き合ってこなかった。だが平成28年の熊本地震で被災した中学生らが被災体験を語るのを新聞やテレビで見て、背中を押された。 「家族や友達と笑いあう日常は当たり前じゃなく特別で、かけがえのないものだって気付かされた。いまこの時を悔いなく過ごすことが大事。難しいことやけど」。生徒の前で、初めて泣いた。 記憶の中の母はいつも、ダイニングテーブルで宿題を広げる自分の傍らで、黙々と文章を書いていた。新聞の投書欄に意見やエッセーを寄せていたのだと知ったのは震災後のこと。がれきの中から、掲載された投書の切り抜きを見つけた。160通を超える母の思いだった。 「お母さんと向き合うことが震災と向き合うこと」。授業を前に、初めて全てに目を通した。その中に、娘の成長を喜ぶ母の言葉を見つけた。 「お母さんは、いつもそばで見守ってくれていた。先生がもらった忘れられない贈り物…それは、お母さんの思いやと思う」 リポート用紙を配り、卒業を控えた3年の生徒に最後に問いかけた。「みんなにとっての忘れられない贈り物はなんですか。みんなは、どんなふうに生きていきたいですか」。授業終了のチャイムが鳴っても、用紙いっぱいに鉛筆を走らせる姿も。「この授業が、忘れられない贈り物」。生徒が書いた一文に胸がいっぱいになった。 3年生・道徳・・・わすれられないおくりもの2
生徒は微動だにせず、食い入るように先生を見つめながら話を聞いていました。あっという間に時間がすぎ、「○みんなの心を動かす、わすれられないおくりものはありますか?それはだれにもらった何ですか?○おくりものをもらってどんな生き方をしたいですか?」との問いかけに生徒達は黙々と文章を書きつづりました。10分以上たっても手を止める人はいませんでした。中にはあいさつが終わってから、なおも10分以上書き続ける人もいました。
「わすれられないおくりもの」とは賢くて皆に頼りにされているアナグマが亡くなりました。森の皆はアナグマを愛していましたから悲しまない者はいませんでした。モグラは上手なハサミの使い方をアナグマに教えてもらいました。同じようにカエルはスケートを、キツネはネクタイの結び方を、ウサギの奥さんはしょうがパンの焼き方を教えてもらいました。皆アナグマとの思い出がありました。アナグマは一人一人に別れた後でも宝物となる、知恵や工夫を残してくれたのです。そのうち悲しみも消えていき、アナグマの話が出るたびに皆で楽しい思い出を話すことができるようになりました。「ありがとう、アナグマさん」 3年生・道徳・・・わすれられないおくりもの
1月17日の6限目、3年生は道徳の授業を受けました。テーマは「死を見つめ、どう生きるかを考える 〜あなたの、忘れられないおくりものは?〜」でした。
誰もが皆忘れられない1995年(平成7年)1月17日は阪神・淡路大震災が起きた日です。小学生の時に被災した教員が、自分の経験や後悔を3年生全員に話しました。「人は必ず死ぬ。そのことをふまえていかに生きるのかを考えましょう」 スーザン・バーレイ作の「わすれられない おくりもの」という絵本を元に“わすれられないおくりもの”はありますか?と問いかけました。 多文化共生学習 その2 |
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