「合わせる」と「合わせない」
学校は集団生活の場であり、社会性を身に付けていくために大切な時間を過ごす場です。もちろん、九九を覚えたり、漢字が書けるようになったりする場でもあります。そこには決まりや約束が存在し、子ども達はそれを守らなければいけません。一人一人が好き勝手にできないということです。授業中は姿勢よく前を向いて先生の話を聞いたり、ノートに漢字を丁寧に書いたり、みんなでリコーダーの合奏をしたり・・・。これは自分の気持ちがどうあれ、我慢してみんなで合わせなければいけません。学校教育にとって、この「合わせる」ということはとても大切なことです。「合わせようとしない」つまり自分勝手な言動をする子どもが多くなると、落ち着いた環境で学校生活が送れなくなります。「合わせる」ためには辛抱しなければいけません。最近「辛抱」「我慢」という言葉の価値がずいぶん低下したように思います。「よく辛抱したね。」少し前までは誉め言葉としては上位に位置していました。自分勝手をしない。我慢して、みんなに合わせられる子どもが多くなってほしいと思います。ただ、「合わせない」ことも大切にしていかなければいけません。「合わせない」自分らしさを大切に考えていくことも必要です。子ども達の個性をしっかり伸ばしていくことも学校教育の大切な目標の一つです。図画工作科の時間に子ども達全員が一生懸命に絵を描いている。真剣なまなざしで絵筆を動かしている。そしてその子ども達の絵は個性があふれ、伸び伸びとした自己表現がされている。金塚小学校の子ども達みんなが「合わせる」ことの大切さと「合わせない」自分らしさをしっかり理解してくれることを願っています。
児童集会お薬講座 6年生
学校薬剤師の前田健輔先生に来ていただき、6年生がお薬講座の授業を受けました。お薬の正しい服用の仕方を中心に話していただき、子ども達にとっては薬についての知識を深める良い機会になったようです。
「しつけ」と「しむけ」
私を含めて、たいていの保護者は我が子の「しつけ」をするときに「○○してはいけない」「○○しなさい」というような命令形が多いようです。ただ、子どもとは、もともと反逆性を持っています。いったんはその命令や禁止に従うけれど、そのうちに背反して守らなくなったりするようになります。そうなると、保護者としては親の権威を傷つけられたということで「怒る」ということになります。この繰り返しが「しつけとは怒ることなり」となってしまうのです。「しつけ」という言葉の中にあるべき「しむけ」が案外おろそかになっているような気がしています。保護者が子どもを追い立てるような「しつけ」と違って、「しむけ」とは保護者が我が子に範を示しながら、後からついてこさせるということです。もしも、子どもがへこたれて遅れてしまったら、その時こそ叱ればいいのではないでしょうか。「怒る」のは保護者のエゴが多いですが、「叱る」のは子どもに対する励ましになります。さて、まもなく、冬休み。子ども達はクリスマスだ、お正月だと楽しみにしていますが、長い休業は案外、自分の力でやらなければいけないことが多くあります。子どもが困れば、困らせてみませんか。怠けていて味わう負担感も勉強の一つになるはずです。この冬休みは子どもを自立に「しむけ」るもってこいの機会になると思います。
児童朝会 |