2月18日(月) 児童朝会インフルエンザや風邪が流行っていたため、ここ何週か児童朝会を実施していませんでした。そのため、今日は少し久しぶりの朝会となりますね。今朝も厳しい寒さがまだまだ続いていますが、元気に外で遊んでいる人も多く見られ、大変感心します。 ここ最近、皆さんの姿を見て、とてもすばらしいなと思ったことがあります。一つは、「長縄跳び記録会」での様子です。記録週間の間、みなさんとても一生懸命に練習していましたね。校長室にいても、運動場から回数を数える元気な声がよく聞こえてきました。練習を重ねる毎に動きも洗練されていき、みんなとても上手になったのではないでしょうか。 そして、もう一つは先週土曜日にあった学習発表会での姿です。どの学年もすばらしい発表をしていましたね。自分ができるようになったことを披露したり、仲間と一緒に調べてまとめたことを資料を用いて報告したり、すてきな合唱や合奏を披露したりと、一人ひとりの姿が大変立派に思いました。 先生が何よりも感動したのは、長縄跳びや学習発表会といった活動や行事の中で、みなさんが協力する姿です。みんなと力を合わせることでできることや伝えられることがあります。そして、そこには大きな達成感と、大きな学びがあります。そうして得た一つひとつの学びは、みなさんを大きく成長させることにつながります。今後も仲間との協力を大切にして、頑張ってほしいと思います。 2月16日 土曜授業(学習発表会・学級懇談会)自分ができるようになったことや、歌や合奏、劇、群読を披露したりと、どの学年も子ども達が一生懸命に取り組んできたことがよくわかる発表でした。 5年生・6年生は講堂で音楽発表でした。子ども達の澄んだ合唱の声が講堂に響き渡り、心を一つにした合奏を披露してくれました。 どの学年も本当に頑張った一日となりました。 ご参観ありがとうございました。 長なわ記録会☆きょうの給食☆〜節分の行事こんだて〜節分とは季節の分かれ目のことです。立春、立夏、立秋、立冬の前日を節分と呼び、年に4回ありましたが、そのうち、春に変わる時だけが、風習として残ったようです。だから、節分の次の日は、「立春(りっしゅん)」になります。 節分の日には、病気や悪い出来事を追い払うため、「鬼は外、福は内」と言って、豆まきをしたり、年の数だけ、いり大豆を食べたりする習慣があります。また、鬼が苦手ないわしの頭を柊(ひいらき)の枝にさして、家の入口に立てる習慣もあります。 南津守小学校にも「ひいらぎ」の木がありました。確かに、葉の形がとげとげしく、鬼が触れても痛そうです。昔から、まだ寒い季節に栄養価の高いいわしや大豆を食べ、いわしの頭はひいらぎにさして玄関に飾り、病気や災いを防いで元気に過ごしていたようですね。今年の節分は2月3日(日)でした。 ☆給食週間5日目☆ 〜給食の歴史・給食の思い出〜給食が初めて出たのは、明治22年(今から130年前)山形県鶴岡市の忠愛小学校で、メニューは、おにぎり、菜の漬物、さけの塩焼きでした。 少しづつ、広まってきた給食ですが、昭和に入って、戦争がはじまり、食糧不足になって、給食もできなくなりました。 やがて、戦争が終わり、再び給食が始まったのは、昭和21年(今から73年前)12月24日でした。12月24日は、冬休みに入るので、1ヶ月あとの1月24日が給食記念日になりました。 そして、この日から1週間を全国学校給食週間としました。 大阪市の給食は、昭和25年(1950年)9月に始まりました。当時は脱脂粉乳をお湯でといたものを、牛乳の代わりに飲んでいました。昭和44年にビン入りの加工乳に代わり、本物の牛乳になったのは、昭和47年(1972年)になってからだそうです。パンの給食しか出なかったのですが、昭和56年(1981年)になって、やっと月に1回のごはんの給食が始まりました。今では焼き魚やグラタンのなどの料理も登場し、ごはんも週3回に増えました。 この機会に、給食に携わる人に感謝して食べるようにしましょう。 ≪先生方の小学校時代の給食の思い出≫ ・A先生の通っていた小学校では、給食がなく、毎日お弁当を持って行っていました。今では温かい給食が食べられるので、とてもうれしい、ということでした。 ・B先生の小学校では、大きなパン焼き機があり、みんなでパンを焼くのが面白かったそうです。 ・C先生のお話では、カレーライスがおいしかったそうです。ごはんよりパンの日のほうが多かったということでした。 ・D先生のお話では、揚げパンがおいしかったそうです。今は出ないので、残念だということでした。 ・E先生のお話では、月1回のカレーライスの日がとても楽しみだったそうです。 お答えいただいた先生方、ありがとうございました。 |
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