平野郷めぐり6
写真は、区民わた畑と瓜破霊園内の災害時に使用する設備です。
平野区の花は綿です。江戸時代、平野の代表的な産業は繰綿(くりわた)と綿作で、明治時代には綿業の街として発展した歴史があります。多くの人が平野区の繁栄を願って区の花が「わたの花」に選定されました。 マンホールの蓋のようなものは、災害時にトイレになるものです。蓋の上にテントシートを張って簡易トイレとして使用できるものです。瓜破霊園が広域避難場所に指定されているため、たくさん設置されています。 このベンチは仕掛けがあり、分解して別の形に組み立てると、コンロの代わりになるベンチです。お湯を沸かしたり、調理をしたりするのに使えるようにベンチに工夫がされたものです。区民わた畑の中にも災害時に使用する設備として、井戸があります。飲むことはできませんが、生活用水として使用することができます。 今回の平野郷めぐりは、平野の歴史と防災をテーマに開催されました。そのため区役所の防災ガイドの方にもお世話になりました。また、主催の平野西青少年健全育成会の皆様、共催の平野西地域活動協議会の皆様にもお世話になりました。ありがとうございました。 平野郷めぐり5
大和川の源流は奈良県の都祁(つげ)にあります。河口に至るまでに171の支流に分かれます。川の長さは68キロメートルだそうです。大昔には、大阪城の北側で淀川と合流して大阪湾に流れ込んでいたといいます。そのため、度々氾濫を起こしていました。そこで、川の流れを変えて氾濫被害を少なくしようとしたそうです。写真は、大和川と水害に備えて作業するときに備えて作られた水防倉庫です。
平野郷めぐり4
瓜破神社(うりわりじんじゃ)は、菅原道真(すがわらのみちざね)と素戔嗚命(すさのおのみこと)が祭神です。名前の由来は、飛鳥時代に洞窟の中で見つけた天神の像を社殿を作ってお祀りし、瓜を破ってお供えしたことから瓜破の地名が決まったといわれているそうです。そのお祀りした日が6月1日だったことから、六月朔日(さくにち)と書いてうりわりと読んだともいいます。
平野郷めぐり3
楯原神社(たてはらじんじゃ)は、武甕槌神(たけみかづちのかみ)、大国主神(おおくにぬしのかみ)が祭神の神社です。もともとは隣にある如願寺の宮寺であったようですが、明治時代の神仏分離令によって分けられたそうです。十種(とぐさ)の神宝という神宝が奉納され、祀られているとのことです。
平野郷めぐり2
如願寺(にょがんじ)では、副住職を務めておられるロシア人僧侶ドミトリー・ヴォルコゴノフさんの講話をお聞きしました。ロシアでは日本の文化や宗教のことを学んでおられたそうです。縁があって来日し、修行の後に如願寺の副住職をされています。以前から日本の文化や宗教にとても興味を持っておられたそうです。
海外からの観光客の方には、お寺にお参りに来て帰るだけでなく、もっと日本の文化や伝統に興味を持ってほしいという想いから、敷地内に外国人観光客を対象にした民泊施設を建設中だそうです。 |
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