本日の献立/5月30日(木)

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献立名 ・ケチャップ煮
    ・三度豆のソテー
    ・りんごのクラフティ
    ・食パン、りんごジャム、牛乳
栄養価 エネルギー 834kcal、たんぱく質33.2g、脂質 21.1g

☆さんどまめ(三度豆)☆
 三度豆は莢隠元(さやいんげん)とも呼び、インゲン豆の若さやを野菜として食べる食品です。生育が早く、1年に3回も収穫ができるということから主に関西では「三度豆」と呼んでいます。
豆としては1654年(承応3)に明(みん)から伝わったとされていますが、さやごと食べるようになったのは、江戸時代末期に伝わった品種が改良されてからのようです。
 北海道から沖縄まで、日本中で栽培されており、千葉、北海道、鹿児島などが主な産地となっています。年中出荷されていますが、おいしい時期は、6〜9月ごろとされています。以前は、料理をする前に筋をとる必要がありましたが、品種改良により筋のないものがつくられ、現在出荷されているものの9割以上が「すじなし」になっています。
 サンドマメやエンドウ、枝豆など、豆類を未熟な状態で野菜として食べる食品では、豆類と野菜類の両方の栄養的な特徴を合わせ持っています。そのため、豆類にはほとんど含まれていないカロテンやビタミンCなども含まれるので、栄養価値の高い食品となります。
 今日の給食では、三度豆をサラダ油で炒め、塩、こしょうで味付けしています。


本日の献立/5月29日(水)

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献立名 ・プルコギ
    ・豆腐のスープ
    ・チンゲン菜ともやしのゆずの香あえ
    ・発酵乳
    ・ごはん、牛乳
栄養価 エネルギー 782kcal、たんぱく質32.0g、脂質 19.4g

☆にんにく(大蒜)☆
 ニンニクは中央アジア原産で、ネギなどの仲間になる野菜です。ヨーロッパではギリシア、ローマ時代から知られ、古代エジプトではピラミッド建設にかかわる人々の重要な食糧となっていたようです。日本へは千年以上前から伝えられており、「本草和名(918年)」に記述が見られます。「源氏物語(1004〜1012年ごろ)」にも登場しており、「帚木(ははきぎ)」の中の「雨夜の品定め」で、「極熱の草薬」として登場します。当時は、オオビル(於保比留、大蒜)と呼ばれ、薬や厄除けとして使われていました。
 強烈なにおいは主に硫化アリルのひとつであるアイリンが分解されてできるアリシンという成分によるもので、体内でビタミンB1と結びついて吸収を高め、疲労回復やスタミナ増強などの効果があります。また、抗がん作用や抗菌作用、血栓や冷え性の予防、脂肪の分解促進などさまざまな効果が期待されています。ただし、生で食べると刺激が強く、食べ過ぎると胃腸の粘膜を傷つけるので注意が必要です。加熱をすると刺激は少なくなります。
 今日の給食では、プルコギに使用しています。

平野郷めぐり6

写真は、区民わた畑と瓜破霊園内の災害時に使用する設備です。
平野区の花は綿です。江戸時代、平野の代表的な産業は繰綿(くりわた)と綿作で、明治時代には綿業の街として発展した歴史があります。多くの人が平野区の繁栄を願って区の花が「わたの花」に選定されました。

マンホールの蓋のようなものは、災害時にトイレになるものです。蓋の上にテントシートを張って簡易トイレとして使用できるものです。瓜破霊園が広域避難場所に指定されているため、たくさん設置されています。

このベンチは仕掛けがあり、分解して別の形に組み立てると、コンロの代わりになるベンチです。お湯を沸かしたり、調理をしたりするのに使えるようにベンチに工夫がされたものです。区民わた畑の中にも災害時に使用する設備として、井戸があります。飲むことはできませんが、生活用水として使用することができます。

今回の平野郷めぐりは、平野の歴史と防災をテーマに開催されました。そのため区役所の防災ガイドの方にもお世話になりました。また、主催の平野西青少年健全育成会の皆様、共催の平野西地域活動協議会の皆様にもお世話になりました。ありがとうございました。
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平野郷めぐり5

大和川の源流は奈良県の都祁(つげ)にあります。河口に至るまでに171の支流に分かれます。川の長さは68キロメートルだそうです。大昔には、大阪城の北側で淀川と合流して大阪湾に流れ込んでいたといいます。そのため、度々氾濫を起こしていました。そこで、川の流れを変えて氾濫被害を少なくしようとしたそうです。写真は、大和川と水害に備えて作業するときに備えて作られた水防倉庫です。
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平野郷めぐり4

瓜破神社(うりわりじんじゃ)は、菅原道真(すがわらのみちざね)と素戔嗚命(すさのおのみこと)が祭神です。名前の由来は、飛鳥時代に洞窟の中で見つけた天神の像を社殿を作ってお祀りし、瓜を破ってお供えしたことから瓜破の地名が決まったといわれているそうです。そのお祀りした日が6月1日だったことから、六月朔日(さくにち)と書いてうりわりと読んだともいいます。
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