大阪城フィールドワーク 12 鶴彬の碑

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陸軍大阪衛戍刑務所跡(衛戍監獄)です。

この場所はまだ再開発されることなく、ひっそりとしています。

衛戍(えいじゅ)監獄とは、戦争犯罪を起こした軍人が服役した刑務所のことです。
この碑は、数々の反戦句を作って獄死(大阪衛戍刑務所を出たあと東京で獄死)した、「鶴彬」(つるあきら)を偲んで建てられました。

また、砲兵工廠において大砲を作る技術によって作られた、直径3メートルの水道管も見学しました。
この水道管は、今でも大阪城周辺の建物に上水道を提供しています。

大阪城フィールドワーク 11 中部管区司令部

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中部軍管区司令部に到着しました。
現在は「ミライザ大阪城」という商業施設になっています。

1931年、大阪城天守閣復興に寄せられた市民の寄付金150万円のうち、80万円を使って建設されました。

(※当時の1円=現在の5千円ほどだそうです)

ここではクラスごとに集合写真を撮影しました。

大阪城フィールドワーク 10 天守閣の石垣

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「大阪城天守閣石垣のずれ」

大阪大空襲では天守閣は破壊を免れたが、土台の石垣に1トン爆弾2発が落とされ、東北隅と西南隅(反対側)の積石の一部が吹き飛ばされました。

大阪城フィールドワーク 9 地下壕

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1945年に中部軍管区司令部の大規模な地下壕が掘られました。
戦後すぐにコンクリートで埋められたのですが、地面下15メートル,全長300メートル、出入口は計4ヶ所ありました。

8時間労働の3交代制で、24時間工事を行っていたそうです。

大阪城フィールドワーク 8 真心の碑と石垣

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女子防空通信隊 真心の碑
終戦までの2年半、敵機来襲の情報伝達をした部隊の跡地に立つ石碑です。

軍の機密の中枢部にいたため、存在自体を極秘にされていました。

また、近くの石垣には機銃掃射の後が生々しく残っています。
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