阪神淡路大震災から25年語り続ける あの日のことを。 阪神淡路大震災から25年
全校集会
阪神・淡路大震災 1995年1月17日 午前5時46分 兵庫県南部中心にマグネチュード7.2の大地震から25年をむかえました。皆さんはまだ生まれていません。大地が激しくゆれた。その約1時間半後、窓ガラスが割れた兵庫県尼崎市の病院で女の子が生まれました。父が着ていた革ジャンバーにくるまれて寒さをしのいだ女の子は、阪神淡路大震災の日に誕生日を重ねるうち、「人を『助ける側』になりたい」と願うようになった。女子大学生、「あの日に生まれた自分にできること」を見つめに、海外の被災地を訪ねる。大きな揺れが襲った時、母は分娩室に行く前に待機する陣痛室にいた。ロッカーは倒れ、医師や助産師が見当たらない。分娩室も使えない中、午前7時12分、一人の看護師が麻里愛さんを取り上げてくれた。だが、体温を温めるものが周囲になかった。産湯も使えなかった。父が革ジャンを脱いで看護師に差し出した。 彼女は、子どものころの誕生日。テレビ番組は震災のニュース一色で、外では避難訓練が行われていた。家族はケーキで祝ってくれたが、複雑な気分になった。 成長するにつれて、あの日に生まれたことが特別な意味を持ち始めた。 「1月17日に生まれた、私にしかできないことがある。」と思うようになった。だが、阪神淡路大震災の記憶はないのに、テレビなどで流れる地震の揺れの映像や救急車のサイレンの音に恐怖を感じ、行動に移せなかった。「このまま逃げてはいけない」と四川大地震(中国)を訪ねることに。傷痕を残す建物を見て、体が震えた。しかし被災者と話すうちに気づいた。「震災が怖かったのではなく、被災地を直視できない自分の弱さに向き合うことが怖かったんだ。」来月、ネパール大地震の地へ赴く。丸3日かかる3000メートル級の山岳地帯で被災者支援の現場に触れる。働きながらボランテイアをしたいとの思いが強まっている。(毎日新聞 抜粋) 3年生 学年集会1/17(金)震災から25年です。 1/16(木)給食献立夕食の献立にご参考ください。 |