大阪城フィールドワーク 7 狛犬(こまいぬ)1940年夏、中国北部に進駐していた日本軍部隊から、兵器とともに届けられました狛犬。 1984年、日中友好を深めるためにと、あらためて中国から大阪市に寄贈されました。 狛犬というよりも、どことなく沖縄のシーサーに似ているかもしれません。 大阪城フィールドワーク 6 正門跡追手門学院大手前中学校の向かいあたりです。 砲兵工廠は終戦によって終止符を打つまで、各種火砲戦車・弾薬類を製造し、終戦時の従業員は63,000人も働いていました。 周囲の壁や、写真奥に見える詰め所トイレは、当時の姿を残しています。 大阪城フィールドワーク 5鉄でできています。 溶鉱炉の底に溜まっていた鉄塊が、置きざらしになっているものだと言われています。 磁石をあてがうと、カチっと音を立てて付く様子に、生徒も驚いていました。 大阪城フィールドワーク 4 荷揚門1871年に完成した荷揚げ門は、運河で運搬された資材を吊り上げるために使用されていました。 しかし、鉄道が発達してからはあまり使われなくなったそうです。 一年大阪城フィールドワーク 3 砲兵工廠跡の石碑砲兵工廠は1870年に兵部省造兵司という名称で大阪城内に設置された大規模な兵器工場です。 赤レンガ造りの本館は、大阪城ホール建設のため1981年に取り壊されれました。 |
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