大阪城フィールドワーク 9 地下壕戦後すぐにコンクリートで埋められたのですが、地面下15メートル,全長300メートル、出入口は計4ヶ所ありました。 8時間労働の3交代制で、24時間工事を行っていたそうです。 大阪城フィールドワーク 8 真心の碑と石垣終戦までの2年半、敵機来襲の情報伝達をした部隊の跡地に立つ石碑です。 軍の機密の中枢部にいたため、存在自体を極秘にされていました。 また、近くの石垣には機銃掃射の後が生々しく残っています。 大阪城フィールドワーク 7 狛犬(こまいぬ)1940年夏、中国北部に進駐していた日本軍部隊から、兵器とともに届けられました狛犬。 1984年、日中友好を深めるためにと、あらためて中国から大阪市に寄贈されました。 狛犬というよりも、どことなく沖縄のシーサーに似ているかもしれません。 大阪城フィールドワーク 6 正門跡追手門学院大手前中学校の向かいあたりです。 砲兵工廠は終戦によって終止符を打つまで、各種火砲戦車・弾薬類を製造し、終戦時の従業員は63,000人も働いていました。 周囲の壁や、写真奥に見える詰め所トイレは、当時の姿を残しています。 大阪城フィールドワーク 5鉄でできています。 溶鉱炉の底に溜まっていた鉄塊が、置きざらしになっているものだと言われています。 磁石をあてがうと、カチっと音を立てて付く様子に、生徒も驚いていました。 |
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