うれしいなあ。ありがたいなあ。かんしゃは たいせつだけれど、ひとからそうしろといわれたり、「やらなくちゃ」とむりにおもうものとは ちがうきがします。 かんしゃも、ほかのいろいろなことも、なやみながら さがすのではなくて かたのちからをぬいて、いまのせいかつを みつめてみると、たくさんのことにきづけます。 ほんのちいさなもの、たとえば、かみいちまい、えんぴついっぽん、けしゴムいっこのなかに、どれだけのひとのどりょくと こころがこもっているか。 こうちょうせんせいは いつもおもいます。もし、じぶんでつくったら、ぜったいに こんないいえんぴつを こんなねだんではつくれないなぁって。 それぞれのプロが、たくさんのくふうをこめて、どうしたらつかいやすいか、どうしたらよろこんでもらえるかと こころをこめてつくったもの。 そんなものが めのまえに たくさんそろっていること。それだけでも、どれだけぜいたくなことか。 かんしゃ、「ありがとう」のいみは、「あることがむずかしいこと」、あたりまえではないということ。 「かんしゃ」はしなくてはいけないものじゃない。ただ、うれしいなあ、ありがたいなあと ただかんしゃしたいから、する。じぶんがそうしたいから、する。それだけで じゅうぶん。 「ごはんがたべられること」 「ごはんをつくってくれるひとがいること」 「ごはんのざいりょうをうってくれるひとがいること」 「ごはんのざいりょうをはこんでくれるひとがいること」 「ごはんのざいりょうをつくってくれるひとがいること」… うれしいなあ。ありがたいなあ。 きみは かけがえのないタカラモノねえ、きみ、お母さんを知ってるかい。 きみが生まれたとき、病んだとき、 眠らずじっとそばにいて 心を痛めていたのがお母さんだ。 ねえ、きみ、お父さんを知ってるかい。 夜中にどんなに遅く帰っても きみの寝顔をそっとみて、黙って床についたのがお父さんだ。 ねえ、きみ、友達を知ってるかい。 平気でいつも楽しそうだけれど 誰もが一つ以上の悩みをかかえ こらえながら頑張っているのが友達だ。 ねえ、きみ、自分を知ってるかい。 たとえ勉強やスポーツが苦手でも 必ず二つ、三つは自慢できるものがある。 それに気づいていないのが自分なんだ。 ねえ、きみ、生きるって知ってるかい。 きみの中にある、その自慢できるものを どれでもいいから輝かせてごらん。 それがきみにとっての生きることなんだ。 ねえ、きみ、生命って知ってるかい。 きみがもし死んだら、親も友達も泣く。 かけがえのないタカラモノだから 生きられるだけ生きてこそ生命なんだ。 ねえ、きみ、未来って知ってるかい。 どうなるかわからないこれからを きみの知恵と力できりひらく そのわくわくする冒険が未来なんだよ。 きみは かけがえのないタカラモノ。 じぶんを たいせつに。 かぞくを たいせつに。 ともだちを たいせつに。 いのちを たいせつに。 てあらい、マスク、なるべくそとにでない。 れんきゅうちゅうも がんばろうね。 毎日一緒に過ごしているのだからわたしたち親は、子どもにとっての完璧な手本になる必要はないのです。感情的になってしまったら、それを認め、子どもに謝ることができれば、それでよいのです。子どもは、そんな親の姿から大切なことを学ぶに違いありません。お父さんもお母さんも、感情的にならないように常に努力しているのだということを。 たとえば、怒りの感情は心の敵なのではなく、うまく処理すべきエネルギーなのだということもできます。それを子どもに分らせることが大切です。怒りのエネルギーは上手に使うとよいのです。これは、わたしたち自身にとってだけではなく、家族全員のためにも大切なことです。わたしたち親の日頃の態度を見習って、子どもは育ってゆき、それが孫の世代まで受け継がれていくのですから。(ドロシー・ロー・ノルト『子どもが育つ魔法の言葉』) お父さん、お母さん、どうか自分を責めすぎないようにしてください。毎日一緒に過ごしているとカッとなるときもあると思います。それは当たり前の感情です。好きな人に対しては、よけいに腹が立ってしまうのは仕方のないことなのです。そうなってしまったときには、それを認めること。そして、「あのときはこんな気持ちだったのよ、ごめんね。これからはこうしてほしい」と子どもに伝えてほしいと思います。 『子どもが育つ魔法の言葉』を久しぶりに読んでいます。こんなときだからか、考えさせられる言葉ばかりです。明日からの連休もできる限りホームページにアップしますので、アクセスしていただけたら幸いです。ホームページが少しでも保護者の皆様の心のリセットの場になれば、うれしいです。よろしくお願いします。 |