校長室の本棚の奥に、「生野の民話」というタイトルが付いたコピーの綴りがありました。その中に紹介されている、お話を紹介します。
【小路小学校】
連携校区小学校のひとつである小路小学校は、明治6年11月15日に創立された生野区で一番古い学校です。
昔、この辺りは東成郡大友村で20戸ばかりの農村でした。この村で生まれた石川興右衛門さんは庄屋さんでした。学制発布されるとすぐ自分の家屋敷を提供して、大友小学校を創立されました。これが小路小学校のはじまりです。
明治11年、庄屋さんの家に生まれた石川弘さんは、府立農学校を卒業すると、農業補習学校をつくり、自分が教授となり、また、青年団長、小路村教育組合長、村長、市会議員、府会議員と公職を続けて、昭和3年には衆議院議員として帝国議会に列席されました。昭和4年1月3日、突然の病で亡くなられましたので、石川先生をしのんで、有志により銅像を小路小学校前に建設されています。
昭和40年頃から、小路小学校鼓笛隊ができて、その育成に先生方が熱心にご指導されました。子供会鼓笛隊の松田弥史さんからも、特別なご厚志を受けて、大阪では優良鼓笛隊になりました。
昭和45年に大阪で開催された日本万国博覧会において2度お祭り広場で演奏を行いました(この時校長先生は鼓笛隊に入っていました)。また、昭和54年8月には、大阪市の姉妹都市のオーストラリアのメルボルン市へ親善使節団として、小路小学校児童22名が、大阪市子供会鼓笛隊に加わり親善訪問しました。メルボルン市では、市長さんも市民と共に大歓迎してくださいました。名誉の賞状や記念品をこの鼓笛隊はたくさん受けています。