子どもは、大切な家族の一員です。けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる 不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる 「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる 子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる 親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる 叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう 励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる 広い心で接すれば、キレる子にはならない 誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ 愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ 認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる 見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる 分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ 親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る 子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ 守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ 和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる わたしがこの詩で伝えたいことは、とてもシンプルです。子どもは常に、親から学んでいるということです。子どもは、いつも親の姿を見ています。ああしなさい、こうしなさいという親の躾の言葉よりも、親のありのままの姿のほうを、子どもはよく覚えています。親は、子どもにとって、人生で最初に出会う、最も影響力のある「手本」なのです。子どもは、毎日の生活のなかでの親の姿や生き方から、よいことも悪いこともすべて吸収してしまいます。口で何かを教え込もうとしてもダメなのです。親がどんなふうに喜怒哀楽を表すか、どんなふうに人と接しているか。その親の姿が、手本として、子どもに生涯影響力を持ち続けることになるのです。 子どもは、みな個性豊かです。自分で何かを創り出し、自分でものを考える力を持っています。親としての真の喜びは、その子の個性をのばし、生き生きした毎日を送ることができるように見守ることではないでしょうか。 子どもは、大切な家族の一員です。子どもは、自由で発想豊かです。そんな子どもの心を知れば、わたしたち親もまた、子どもと共に成長し、学ぶことができます。家族の絆を深めることができるのです。 みなさんは、わたしの詩を読まれて、「こういうことは、もう分かっている」と思われたかもしれません。たしかに、この詩は、みなさんが親としてすでに気づいておられることを言葉にしたものなのです。詩「子は親の鏡」が、子育てをしているお母さんやお父さんにとって、ますます身近な存在になってくれることを心から願っています。 子どもは、本当に日々親から学んでいます。そして、大人になったとき、それを人生の糧として生きていくのです。 ドロシー・ロー・ノルト うれしいなあ。ありがたいなあ。かんしゃは たいせつだけれど、ひとからそうしろといわれたり、「やらなくちゃ」とむりにおもうものとは ちがうきがします。 かんしゃも、ほかのいろいろなことも、なやみながら さがすのではなくて かたのちからをぬいて、いまのせいかつを みつめてみると、たくさんのことにきづけます。 ほんのちいさなもの、たとえば、かみいちまい、えんぴついっぽん、けしゴムいっこのなかに、どれだけのひとのどりょくと こころがこもっているか。 こうちょうせんせいは いつもおもいます。もし、じぶんでつくったら、ぜったいに こんないいえんぴつを こんなねだんではつくれないなぁって。 それぞれのプロが、たくさんのくふうをこめて、どうしたらつかいやすいか、どうしたらよろこんでもらえるかと こころをこめてつくったもの。 そんなものが めのまえに たくさんそろっていること。それだけでも、どれだけぜいたくなことか。 かんしゃ、「ありがとう」のいみは、「あることがむずかしいこと」、あたりまえではないということ。 「かんしゃ」はしなくてはいけないものじゃない。ただ、うれしいなあ、ありがたいなあと ただかんしゃしたいから、する。じぶんがそうしたいから、する。それだけで じゅうぶん。 「ごはんがたべられること」 「ごはんをつくってくれるひとがいること」 「ごはんのざいりょうをうってくれるひとがいること」 「ごはんのざいりょうをはこんでくれるひとがいること」 「ごはんのざいりょうをつくってくれるひとがいること」… うれしいなあ。ありがたいなあ。 きみは かけがえのないタカラモノねえ、きみ、お母さんを知ってるかい。 きみが生まれたとき、病んだとき、 眠らずじっとそばにいて 心を痛めていたのがお母さんだ。 ねえ、きみ、お父さんを知ってるかい。 夜中にどんなに遅く帰っても きみの寝顔をそっとみて、黙って床についたのがお父さんだ。 ねえ、きみ、友達を知ってるかい。 平気でいつも楽しそうだけれど 誰もが一つ以上の悩みをかかえ こらえながら頑張っているのが友達だ。 ねえ、きみ、自分を知ってるかい。 たとえ勉強やスポーツが苦手でも 必ず二つ、三つは自慢できるものがある。 それに気づいていないのが自分なんだ。 ねえ、きみ、生きるって知ってるかい。 きみの中にある、その自慢できるものを どれでもいいから輝かせてごらん。 それがきみにとっての生きることなんだ。 ねえ、きみ、生命って知ってるかい。 きみがもし死んだら、親も友達も泣く。 かけがえのないタカラモノだから 生きられるだけ生きてこそ生命なんだ。 ねえ、きみ、未来って知ってるかい。 どうなるかわからないこれからを きみの知恵と力できりひらく そのわくわくする冒険が未来なんだよ。 きみは かけがえのないタカラモノ。 じぶんを たいせつに。 かぞくを たいせつに。 ともだちを たいせつに。 いのちを たいせつに。 てあらい、マスク、なるべくそとにでない。 れんきゅうちゅうも がんばろうね。 毎日一緒に過ごしているのだからわたしたち親は、子どもにとっての完璧な手本になる必要はないのです。感情的になってしまったら、それを認め、子どもに謝ることができれば、それでよいのです。子どもは、そんな親の姿から大切なことを学ぶに違いありません。お父さんもお母さんも、感情的にならないように常に努力しているのだということを。 たとえば、怒りの感情は心の敵なのではなく、うまく処理すべきエネルギーなのだということもできます。それを子どもに分らせることが大切です。怒りのエネルギーは上手に使うとよいのです。これは、わたしたち自身にとってだけではなく、家族全員のためにも大切なことです。わたしたち親の日頃の態度を見習って、子どもは育ってゆき、それが孫の世代まで受け継がれていくのですから。(ドロシー・ロー・ノルト『子どもが育つ魔法の言葉』) お父さん、お母さん、どうか自分を責めすぎないようにしてください。毎日一緒に過ごしているとカッとなるときもあると思います。それは当たり前の感情です。好きな人に対しては、よけいに腹が立ってしまうのは仕方のないことなのです。そうなってしまったときには、それを認めること。そして、「あのときはこんな気持ちだったのよ、ごめんね。これからはこうしてほしい」と子どもに伝えてほしいと思います。 『子どもが育つ魔法の言葉』を久しぶりに読んでいます。こんなときだからか、考えさせられる言葉ばかりです。明日からの連休もできる限りホームページにアップしますので、アクセスしていただけたら幸いです。ホームページが少しでも保護者の皆様の心のリセットの場になれば、うれしいです。よろしくお願いします。 4月が終わります日々の暮らしを維持するために、お店で働いてくれている方がいます。 当たり前のように、決まった曜日・決まった時間にごみを収集してくれている方がいます。 コロナウイルスの恐怖と闘いながら、医療の最先端で働かれている方がいます。 医療従事者ばかりがクローズアップされがちですが、サービス業者、物流業者、宅配業者、金融業者、清掃業者、公共交通機関の方、警察署の方、消防署の方、保育教育関係の方…、 毎日、多くのストレスと不安の中、お仕事をされていること、本当に感謝します。ありがとうございます。 |
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