いざ2学期へそして4月の家庭科室の床に続いて、図工室の床もピカピカになりました!トイレも清掃作業が終わってピカピカです! あとは、みなさんが元気に来てくれることを楽しみにしています! 毎日あついけど、元気にすごせていますか?生活のリズムはみだれていませんか?火よう日から始まります。そろそろじゅんびを始めようね。 さぁ、2学期へ。8月25日が待ち遠しいです! 偏見と先入観2みなさん、わかりましたか? お話の答えは、「外科医が女性だった。息子の母親だった」というものです。それだと話の筋は通ります。 「長年勤める」「大変腕利きのいい外科医」「連日の勤務」「わかった。すぐ行く」…、どのキーワードに引っ張られたのかわかりませんが、この話を聞いて私は男性を思い浮かべたのでした。これは当時、私の中にお医者さんと言えば男性だろうなとか、毎日働くのは男性かな、とかといった今までの生活のなかでつくられた見えない「偏見」や「先入観」があったからだと知りました。もちろん、女性が医者をやるべきじゃない、母親が連日勤務なんて、などと思っていたわけではないのに。 その時の講師の方は言っていました。「偏見や先入観というものは、誰もが持っているもの。また、それをゼロにすることもなかなか難しい」と。「私は大丈夫。偏見や先入観を持っていない」「どうしてそんなふうに思うのか、わからない」ということではなく、大切なことは「自分の中にも、他人の中にも、偏見や先入観というものがあるということに気づけること」だと。 人に関わった仕事をするために、そして人を理解していくために、まず「自分にも、そういう見方をしてしまう時がある」ことを知ること、「人も、自分とはちがう考え方をすることがある」ことを知っていることは、とても重要なんだと知りました。 このお話を聴いて以来、いつも心に留めておこうと思っています。 考えや意見がちがうとき「おかしい」「まちがっている」と一方的に責めるのではなく、相手の考えを聞いて、受け止める。そのうえで、「どうしていくのがいいのか」子どもを中心に、一緒に考えていく。これが大事だと考えています。2学期もこの姿勢で、保護者のみなさんと一緒に子どもたちを育てていきたいと考えています。 偏見や先入観
10年ほど前に研修会で聴いて以来、いつも心に留めておこうと思っているお話があります。有名な話みたいなので知っている保護者の方もおられるかもしれません。
父親が一人息子を連れてドライブに出かけました。しかし、その途中で父親がハンドル操作を誤り、電柱に衝突する大きな事故を起こしてしまいました。父親は即死、助手席の息子は意識不明の重体。すぐに、救急車で病院に運ばれました。 幸いにも、この病院には長年勤める大変腕利きのいい外科医がいました。 「先生、交通事故での大けがです。オペが必要です。お願いします。」 外科医は先程も大変な手術を終えたばかり。そして連日の勤務で疲れ果てていましたが、「わかった。すぐ行く」と言って、急いで手術室に向かいました。 しかし、その重体の子の顔を見たとたん愕然とし、 「えっー! 息子…、これは私の息子だ…」と叫んだのでした。 というお話です。 話を聞いたとき、私は「?」でした。そして、そのあと私はこの答えを聞いたとき、偏った見方をしてしまう偏見や、初めの印象にとらわれ続けてしまうような先入観が、たしかに自分の中にもあるんだな、と実感しました。 みなさんは「あれ?父親は死んだはずなのに」と思いませんでしたか? 「あれ?」となった方はもう一度読んで、ゆっくりと考えてみてください。 ――明日へつづく―― そっと種をまくインドのある水汲み人足は2つの壺を持っていました。 天秤棒の両端にそれぞれの壺を下げ、彼は水を運びます。 片方の壺には、ひびが入っていました。 完璧な壺が小川からご主人様の家まで一滴の水もこぼさないのに対し、ひび割れ壺はいっぱいまで水を汲んでもらっても家に着く頃には半分になってしまいます。 完璧な壺は、いつも自分を誇りに思っていました。なぜなら、彼は本来の目的を常に達成することができたからです。 ひび割れ壺は、いつも自分を恥じていました。なぜなら、彼はいつも半分しか達成することができなかったからです。 二年が過ぎ、すっかり惨めになっていたひび割れ壺は、ある日、川のほとりで水汲み人足に話しかけました。 「私は自分が恥ずかしい。そして、あなたにすまないと思っている」 「なぜそんな風に思うの?何を恥じているの?」水汲み人足は言いました。 「この二年間、私はあなたのご主人様の家まで水を半分しか運べなかった。水が漏れてしまうから、あなたがどんなに努力をしてもその努力が報われることがない。私はそれが辛いんだ」 壺は言いました。 水汲み人足は、ひび割れ壺を気の毒に思い、そして言いました。 「これからご主人様の家に帰る途中、道ばたに咲いているきれいな花を見てごらん」 天秤棒にぶら下げられて丘を登って行く時、ひび割れ壺は、お日様に照らされ美しく咲き誇る道ばたの花に気づきました。花は本当に美しく、壺はちょっと元気になった気がしましたが、ご主人様の家に着く頃にはまた水を半分漏らしてしまった自分を恥じて、水汲み人足に謝りました。 すると彼は言ったのです。 「道ばたの花に気づいたかい?花が、君の通る側にしか咲いていないのに気づいたかい?僕は君からこぼれ落ちる水に気づいて、君が通る側に花の種をまいたんだ。そして、君は毎日、僕たちが小川から帰る時に水をまいてくれた。この二年間、僕はご主人様の食卓に花を欠かしたことがない。君があるがままの君じゃなかったら、ご主人様はこの美しい花で家を飾ることはできなかったんだよ」(作者不明 菅原裕子訳)というお話です。 子どものひび割れを見つけたとき、私たちがしてあげられること。 それは、ひび割れを責めることではありません。 ひび割れをふさぐことでもありません。 ひび割れから水がこぼれ落ちるその場所に、花の種をそっとまいてあげることではないかなぁ、と。そんなことを考えていました。 272人の子どもたち。一人一人とても素直だし、一人一人優しいところもたくさんもっています。でも、注意されることもあるし、意地を張ってしまうこともあるし、友だちに意地悪しちゃうときもあります。当たり前です。 そんな「ひび割れ」が見えたとき、私たちができることは何か。時には注意をし、時にはボンドで「ひび割れ」を直すことも必要です。でも、そればかりではなく、その「ひび」を受け止めること、そしてその「ひび割れ」から水がこぼれ落ちるその場所に、そっと種をまいてあげること。これこそが2学期は特に大切になってくるのかもしれません。 私たちはみんな、ひび割れを持っています。子どもたちにもひび割れはあります。お父さん、お母さんにも、そして私たち教職員にも何らかのひび割れはあります。 子どものひびを責めるのではなく、それを受け止めて、花の種をまき、花を咲かせる手助けをする。決して簡単なことではないですが、2学期も教室にたくさんの花を咲かせたい。たくさんの花咲く学校にしたい。本を読みながら、そんなことを考えていました。 夏休みもあと1週間。制限が多い夏休みですが、大いに満喫して、2学期元気にスタートできますように、保護者のみなさん、あとひと踏ん張りよろしくお願いします。 水やおちゃをのもう!毎日 本当にあついですね。ねている時間もあついし、朝から30℃なんて 本当に信じられないあつさです。そのうえ、いつもの年とはちがって、マスクをつけて出かけないといけないことがある今年の夏。マスクをしていると、「のどがかわいたなぁ」と 気づきにくいので、水分をとるのが おくれるといわれています。みなさんのような子どもは、とくにそうなるみたいです。 前にお話したように ねっちゅうしょうをふせぐためには、こまめに水分をとることが大切です。しかし、気をつけてほしいのは なにをのむか、です。 あそびにいくときには 水とうをもっていくのがいちばんいいです。でも、よういできなくて おうちの人からお金をもらって、コンビニやじどうはんばいきで つめたいのみものをかうこともあるかもしれません。そのとき、どんなのみものを かうかがポイントです。スポーツドリンクやジュース、たんさんなどの「せいりょういんりょうすい」を よくのむという人はいませんか? おいしいので気もちはよくわかりますし、のんではいけない、ということではありません。のみすぎないようにしてほしいのです。というのも、スポーツドリンクやせいりょういんりょうすいには、100mlあたり5g〜10gぐらいの「とうぶん」がふくまれているものが多いといわれています。かくざとうは1こ4g。もし、1リットルのめば、かくざとうを10こ〜25こを たべているようなものです。「おいしい」とのんでいるうちに、いつのまにか とうぶんをとりすぎていることがあるのです。 それをふせぐには、とうぶんの多いせいりょういんりょうすいを 一気にたくさんのまないことです。しかし、水分ほきゅうは大切なので、水やおちゃなど とうぶんのないものをのむように心がけてください。スポーツドリンクやせいりょういんりょうすいを のむときは、ゼロカロリーやカロリーオフのものをえらぶのもいいかもしれません。 あつい日は、つめたくておいしいジュースやアイスクリームなどを食べたくなる気もちはわかります。しかし、けんこうのことを考えて、ほどほどにしましょうね。えいようのじゅぎょうで 習った人は教えてもらったことを思い出して、生活にいかしましょう。 では、今日もたのしい夏休みをすごしてくださいね! |
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