?令和3年2月27日(土)ホリデーコラム72
「教えない授業の始め方」(山本 崇雄 著 「アルク」)より、
リアルな社会では、常に選択を迫られます。答えのない問題に対して、どう現状把握するか、どう情報収集するか、誰と協働するか、誰に相談するか、いつまでに何をするか・・・全て選択して決めなければなりません。
しかし、学校では生徒が何かを選んで学ぶ機会はほとんどありません。「親身で丁寧な指導」で一方的に教えれば教えるほど、生徒から選択する自由を奪います。宿題が多過ぎれば、生徒は家庭での学びの選択さえできません。例えば、「ワークの○から○ページまで、答え合わせをして提出しなさい」という宿題を考えてみましょう。この範囲の全ての問題が、全ての生徒に必要だということはまずありません。ある生徒にとっては簡単過ぎるでしょうし、ある生徒には難し過ぎるでしょう。
宿題の是非は様々な意見があるでしょう。もしかしたら宿題がないなんてありえないと思われる方もいるかもしれません。しかし、「わかる子ども」にとって宿題は必要ないかもしれません。本来の宿題の目的は、子どもに学力をつけることです。わからないことを、わかるようにすることが宿題の目的です。さらに言えば、子どもの理解度に応じて、宿題の内容を変えればいい!個別に最適な宿題にすれば、宿題の意味は生まれるのではないでしょうか!もしかしたら、今の学校は先生が成績をつけるために宿題を提出させることが宿題の目的になってしまっていないか?を問い直さなければいけない気がします。