登校の様子(6月2日)
学校再開2日目、分散登校で学級の半分が午前中登校します。
正門では、教職員が出迎え、健康観察表を提出させて、熱をはかっていない生徒には、検温します。 学校の様子(6月1日)
3コマの授業が終わって、パンと牛乳の簡易給食です。
前半のメンバーは下校です。 学校再開(6月1日)
令和2年度、待ちに待った学校生活。
各学級半分の人数での分散登校ではありますが、月曜日1時間目の授業が始まりました。生徒たちは少し緊張気味の様子でした。 連絡(5月31日)
明日から、学校が再開します。
ただし、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、学級を2つに分けた分散登校とします。授業時間も、午前、午後各3時限の授業を行います。 登校時間及び時間割は別紙の通りです。 6月1日からの時間割 注意点 ・登校に際しては、必ずマスクを着用するようお願いします。 ・登校に際しては、お子様の体温等健康状態を記入した健康観察表をお子様に持たせてください。学校で健康観察表の確認をいたします。 生野の民話-6-(5月30日)
校長室の本棚の奥に、「生野の民話」というタイトルが付いたコピーの綴りがありましたので紹介しています。
「平野川分水路」 大阪城から南は上町台地で高い土地ですが、その東側、私たちの住んでいる生野区は特別に低いのです。 ここに流れている平野川は、昔から大雨が降ると、きまって川の水があふれました。大雨にそなえて、別に開設された川が平野川分水路です。水路の工事を始めたのが大阪城の東側からで、川の名を「城東運河」とよばれました。現在の城東区から東成区へ水路が延長され、近鉄今里駅の北側へでます。ここには七つの道が集まる「七福の辻」とよばれる辻があり、その辻の中央へ水路を通すことになりました。西側は四つの道で、東側へは三つの橋をかけました。橋の一つに「片江七福橋」と名をつけました。橋のそばに、「城東運河の碑」の石碑が建てられています。 小学校3年社会科の「わたしたちの生野区」に、東中川橋の写真がのせられていますが、それは水害でよごれたみにくい橋の姿です。その近くに「すいがんばし」があります。300年ほど前、大雨が降るとこのあたりの橋が流されるので、翠岩さんという慈善家が十一の石の橋をつくられました。今、その人の名を橋の名に残しています。 城東運河の水路が、JR線平野駅の北側で平野川につながりました。上流から流れる水を新しい水路にも分けて流れていくのです。昭和41年4月1日、建設省から新しい水路の名を正式に「平野川分水路」と発表されました。昔から生野は水害の名所と思われておりましたが、もう大丈夫といえます。 改修工事も進み、下水道も新しく開設されました。その上、平野川の上流では、「なにわ大放水路」(東住吉区)が平成12年に完成いたしました。 |
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