?令和2年10月31日(土)ホリデーコラム45
「2020年からの教師問題(石川一郎 著ベスト新書)」より、
今の日本の教育が出来上がった背景を、近代国家として歩み始めた明治時代から、4つの時代区分で考えてみたいと思います。
1.明治から第2次大戦まで
政府としては、「富国強兵」「殖産興業」を迅速に進める必要から、国家の発展に寄与する人材の育成を教育に求めた。(中略)ただ、結果的に教育の現場では、「自分の意見や考えを主張する」ことよりも、「指示されたことを実行する」ことの方が重視されることとなりました。
2.第2次大戦からバブル崩壊まで
復興が進む中、ベビーブームが到来し、子供がとても多く競争が激しい時代になっていきます。そんな時代に求められたのは、「自分の意見や考えを主張する」ことではないでしょう。競争社会においては、「指示されたことを実行する」ことで、「よりよいポジション」を獲得することが、先決だったと思います。(中略)そのような社会情勢において、重視されたのは、やはり「学歴」でした。
3.バブル崩壊からゆとり教育まで
1990年代、「努力」や「頑張る」といった言葉が、何となく、生徒と接する上で違和感を持つようになってきました。今思い起こすと、日本社会が成長という神話を失っていくにつれて、「努力をしても報われないのではないか」と考える風潮が社会に広がっていったのです。
4.ゆとり教育から今日まで
残念ながら、「ゆとり教育」により、当時の有馬文相が懸念していた「きつきつの授業で画一的に教え込む」方向により進むこととなりました。しかし、21世紀も十数年が過ぎ、教育を取り巻く外部環境の変化は、「ゆとり教育」導入時に議論されたように、大きなものになりました。そして、今後の社会に予想される激しい変化には、現状の教育では対応できないのではないかという議論が再燃しています。さらに今、社会の求める人材と現行の教育で供給される人材とのかい離が、社会で大きく叫ばれるようになりました。
こうした時代の流れを振り返ると、教育と社会は密接につながっていることがよくわかります。教育の目的は何か?それは、子どもたちに「社会で生きてはたらく力を身につけさせること」です。ならば、どんな社会であるかを見抜く目を持っていなければなりません。と同時に、「学校はミニ
社会」でなければなりません。様々な人が入り乱れて、当たり前に一緒に過ごす場でなければなりません。互いの違いを知り、互いに違いを認め合い、互いに尊重し合う社会(学校)でなければなりません。そんな当たり前の社会(学校)をつくりましょう!