生野の民話-4-(5月9日)
本校から北へ平野川分水路の西側を5分ほど歩いて新地橋あたりに大きな墓があります。石碑には、いつでも美しい花が供えてあります。誰のお墓なのか、何故ここに祭られているのか、私自身以前から疑問を持っていました。「生野の民話」の中にお話が掲載されていました。
【池田警部の墓】 大阪府警察本部の記録には、警部池田茂さんは、明治36年10月20日香川県生まれの人で、生野警察署の刑事さんでした。 昭和21年当時は、終戦直後で物が不足し、犯罪者が多く凶悪な事件が続きました。年末になると、今里駅近くの飲食店へ来て、ピストルを突きつけて品物や現金を持ち去る二人か三人組の事件が、毎日のように繰返すのでした。 12月18日でした。池田巡査部長は、今里駅より約100m東の新地橋際で張り込み中、停電で真っ暗がりの所に不審な二人組を見つけて、「どちらへ?」と聞くと、突然一人がピストルを発射しました。その弾で池田刑事は、左腹から背中を貫く重傷を受けました。責任感の強い池田刑事は、気力をしぼって数メートル犯人を追跡しましたが、力尽きて倒れました。ピストルの音で駆けつけた警察官によって阪大病院へ運ばれましたが、ベッドの上で犯人を求めるうわ言を言い続けて亡くなりました。 池田巡査部長はそれまでに、凶悪犯人を逮捕した功績で、警察官最高の功労記章と内務大臣特別賞を授けられており、それに知事賞3回、警察部長賞33回を受賞しています。池田巡査部長の殉職に対して、内務大臣から今までにない2度目の功労記章を贈られて、二階級特進の警部に任ぜられました。 翌年1月2日、阿倍野葬儀場で大阪府警察本部葬が行われました。1月8日には犯人が逮捕されました。 池田巡査部長が倒れた場所が、このお墓のあたりだったのでしょう。 ![]() ![]()
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