校長室の本棚の奥に、「生野の民話」というタイトルが付いたコピーの綴りがありましたので紹介しています。
「平野川分水路」
大阪城から南は上町台地で高い土地ですが、その東側、私たちの住んでいる生野区は特別に低いのです。
ここに流れている平野川は、昔から大雨が降ると、きまって川の水があふれました。大雨にそなえて、別に開設された川が平野川分水路です。水路の工事を始めたのが大阪城の東側からで、川の名を「城東運河」とよばれました。現在の城東区から東成区へ水路が延長され、近鉄今里駅の北側へでます。ここには七つの道が集まる「七福の辻」とよばれる辻があり、その辻の中央へ水路を通すことになりました。西側は四つの道で、東側へは三つの橋をかけました。橋の一つに「片江七福橋」と名をつけました。橋のそばに、「城東運河の碑」の石碑が建てられています。
小学校3年社会科の「わたしたちの生野区」に、東中川橋の写真がのせられていますが、それは水害でよごれたみにくい橋の姿です。その近くに「すいがんばし」があります。300年ほど前、大雨が降るとこのあたりの橋が流されるので、翠岩さんという慈善家が十一の石の橋をつくられました。今、その人の名を橋の名に残しています。
城東運河の水路が、JR線平野駅の北側で平野川につながりました。上流から流れる水を新しい水路にも分けて流れていくのです。昭和41年4月1日、建設省から新しい水路の名を正式に「平野川分水路」と発表されました。昔から生野は水害の名所と思われておりましたが、もう大丈夫といえます。
改修工事も進み、下水道も新しく開設されました。その上、平野川の上流では、「なにわ大放水路」(東住吉区)が平成12年に完成いたしました。