9月8日 2年
(上)算数 動物を直線でかこんで、形をつくろう
(中)朝、連絡帳を書いています (下)音楽 けんばんハーモニカを練習中 9月8日 1年
3組の様子です
(上)さんすうのべんきょう (下)ずがこうさくのさくひん 9月8日 1年
2組の様子です
(上)さんすうのべんきょう (下)ずがこうさくのさくひん 9月8日 1年
1組の様子です
(上)一人一台パソコンで、デジタルドリル教材を扱っています (下)学級に置いているタブレット保管庫です 9月8日 打ち明けてくれてありがとう
皆さま、おはようございます。朝から、長くなって申し訳ありません。
この本は、1998年に出版された、あるHIV(後天性免疫不全症候群)感染者の方の手記です。 著者は、1989年、30歳の時に、海外でHIVに感染していることを告げられました。 HIV感染症は、今でこそ治療法が進歩し、死に至る病気ではありませんが、当時はまったく違います。 武田さんは、死と直面しながら生きることだけでも辛いのに、そのうえ無理解や差別、偏見を恐れて、感染していることをだれにも言えず、孤独を味わいました。ひた隠しにしたまま年月が過ぎ、これ以上孤独に耐えられないと決意しました。そして、とうとう自分の病名を信頼している年上の女性に告白した時、思いがけない言葉が返ってきました。 (以下、原文通り) すると彼女は最初に、「よく言ってくれたわね。ありがとう」と答えた。 そして涙を目に浮かべて私をしっかり抱き締めてくれた。 彼女の言葉が私の心をどれほど救ってくれたか。初めて、一筋の光が射したような気がした・・・。 この日を境に、武田さんは生きる自信と勇気と希望を取り戻したのです。 私事ですが、20年ほど前、駆け出しのHIVボランティアだった私は、この本を読んで、涙が止まりませんでした。 感染のことを打ち明けられた時、自分ならどうするだろう。 もう20年以上、ボランティア活動を続けていますが、いまだに、彼女のような対応がとっさにできる自信はありません。 この間、親しくしていた感染者の方との悲しい別れもありました。 なぜ、この心優しい若者が、HIVに感染しなければならなかったのか。なぜ、ひっそりと去らなければならないのか。やりきれない哀しみを経験してきました。 投稿者の心の何分の一かは、哀しみからできています。 ですが、それを超えて余りある、素晴らしいお仕事に携わらせていただいていることを誇りに思っています。 新型コロナウイルス感染症は、私が長年大切にしていることの答え合わせをしてくれています。 感染された方々は、まわりが優しくいたわるのが当たり前です。 感染症をはじめ、さまざまな病気とともにいる方々が、責められたり、ましてや差別、偏見を受けたりする社会は、間違っています。 私は、この思いだけは、絶対に譲れません。 自他ともに認めるポンコツな投稿者ですが、塩草立葉小学校の素晴らしい教職員の皆さんと一緒に、人に優しい共生社会をつくりたい、その担い手である子どもちゃんたちを育てていきたいと願っています。 塩草立葉小学校につながるすべての方々が、穏やかで温かい一日を過ごされますよう、お祈りします。 |