緊急連絡 新型コロナウイルス感染症の発生について
このたび、本校の教職員が、新型コロナウイルスに感染していることが判明したことにより、保健福祉センターや大阪市教育委員会と連携し学校の安全確認を行いました。安全を確認しておりますので通常通りの授業を行います。
今後、状況の変化や対応をお願いする場合は、学校ホームページ等でお知らせいたします。また、この件についてうわさや風評被害がないように、くれぐれもお願いいたします。 大阪市立港南中学校 校長 田中 紹亮 全校集会 3全校集会 2
それでも、4回転半へのアプローチは、一歩ずつ進んでいました。
昨年11月、右足首を負傷した。追い打ちをかけ食道炎や発熱も重なり、1か月間は練習かできなかった。早く飛ばないと体がどんどん衰えていくと焦りも募りました。 そんな逆境での諦めの悪さも、また「王者・羽生結弦」を築きあげた原動力だったようです。「せっかくここまで来たんだから、やっぱ、クリーンに降りたいって言っている自分がいる。もうちょっとだけ頑張ります。」と腹をくくった。 そして、今回、フリーの演技の冒頭。クワッドアクセルに挑戦、高く飛びあがりながら、鋭く回転し、右足を着いた。次の瞬間、リンクに倒れ込んだ。 転倒したものの、公認大会で史上初めて認定された4回転半ジャンプでした リンクを去る時、羽生選手は氷に手をあてた。「いい結果ではなくて、もちろん悔しい。でも最終的にはここまで跳ばせてくれてありがとう」確かな爪痕を残した五輪のリンクに感謝を伝えた。 羽生選手のインタビューでのことば は 「いや、正直悔しいですよ。なんで、報われないんだろうなって思いながら、この3日間、ずっと過ごしていました。すごく努力したし、苦しかったし、でも皆さんの中で勝敗関係なく、やっぱ、羽生結弦のスケート良かったなって。ちょっとでも思ってもらえる瞬間があったら、それだけできょう頑張って滑った意味があったのかなって思ったんです」と話した。 彼の残した歴史・感動は計り知れないと思いました。 校長先生は、3年生の中央階段2階から3階に張りだされている「前向きになることば 日めくりカレンダ—に 」 【自分という「宝石」は努力という習慣で磨き抜かれた時 結果につながる。】 という言葉を思い浮かべていました。 書道部表彰 全校集会全校集会 2月15日(火) Teams
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3年生の皆さん、まずは、私立高校の合否がでました。合格をした皆さんおめでとう。 また、再チャレンジをする皆さん落ち着いて調整しましょう。2月17日(木)には、特別選抜試験が控えています。受検する皆さん、健闘を祈っています。 さて、昨日は、3年生にむけて感謝を込めて、2年生が1年生にアドバイスをしてコサージュづくりをしました。卒業まで24日です。全校生徒の皆さんの思いが詰まった卒業式にしてほしと思います。 羽生結弦選手の話したいと思います。 北京オリンピックのフィギュアスケート男子で94年ぶりの3連覇が懸かる羽生結弦選手は、世界で誰もが成し遂げたことのないクワットアクセル(4回転半ジャンプ)の成功だけを目指して練習をしてきました。 羽生選手は、高校1年生の時(11年前)仙台市スケートリンクで練習中、東日本大震災を襲われました。靴を履いたまま走って逃げました。避難所生活を経験し、全国のアイスショーに出演しながら練習を続け、「自分は被災地に何ができるのか、悩みながらスケートを続けていました。」 2014年(8年目)ソチオリンピックで優勝し2018年(4年前)ピヨンチャン(平昌)オリンピックで優勝。2連覇中です。そして迎えた今年、2022年北京オリンピック。 4年前、ピヨッチヤン(平昌)五輪後、羽生選手は、世界で誰も成し遂げたことのないクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)の成功を目指し練習してきました。 3度目のオリンピック、羽生選手は、練習から命を削るようにして超難度の大技と向き合ってきました。 羽生選手は、「誰も飛んだことのない、誰もできる気がしない。それをできるようにする過程って、ひたすら暗闇(くらやみ)を歩いているだけなんですよ。毎日、頭打って、脳しんとうで倒れて死んじゃうんじゃないかって思いながら、練習はしていました。」 4回転半の難しさは次元が違っていました。「集中してやればやるほど、けがのリスクが常につきまとう。4回転以降を回ることがどれだけ大変かということを改めて痛感した4年間だった」 |