自分の人生は自分のもの!「だったらこうしてみたら?(植松努著 PHP出版)より、 小学校に入学して、はじめて教科書をもらった日。全部輝いて見えていたはずです。早く学びたかったはずです。友だち100人できるかなの歌を歌ったかも。なのに、勝手に点数つけられて、勝手に比べられて、団体行動を強要されて、苦手と嫌いを植えつけられてしまっただけじゃないでしょうか。でもそれは「学校のやり方」と相性が悪いだけです。だったら、自分の方法で学んだらいいです。 映画でも小説でも旅行でもアニメでもなんでもいいです。学ぶとは、教えられたことを覚えることではありません。みんなと同じことをすることでもありません。自分で疑問を感じて、自分で調べることです。学校の評価や、他人の評価で、苦手や嫌いを感じてしまうのはもったいないです。学校や他人が評価してくれないことを、価値が無いと思わないでください。 なぜなら、他人からの評価で自分の価値を決めてしまうと、一生「人からどう見られるかな」「人からどう思われるかな」と、他人の目線を気にして生きることになってしまうからです。 私たちは幼い頃から「周りの人に迷惑をかけないように」とか、「足並みをそろえて」と教えられることによって、必要以上に他人の目を気にするように育ってきました。確かにそれは一面では正しいかもしれません。人間関係の中で生きてるんだからそれは当然かもしれません。 でも、ここでもう一つの条件があることに目を向けてほしいです。「自分の人生の責任を取るのは自分」だということです。 周りの言うように生きようが、自分の意思で生きようが、どっちにしても最終責任は自分にしか取ることができません。だったら少しくらい自分の意思で生きてみたっていいんじゃないでしょうか? 当事者意識を持つ!「だったらこうしてみたら?(植松努著 PHP出版)より、 世の中の、困ったことや悲しいことや不便なことを見つけて、解決すれば、人の役に立てます。それが仕事です。(中略) 毎日毎日、「これはおかしい」「これに困っているんじゃないか」「なぜこうなっている?」と、いつもじっくり観察して、自分のなかに疑問をためていきましょう。そして、ためた疑問について、「だったらこうしてみたら?」と仮説を立てましょう。 このときに気をつけたいのは、問題を誰かのせいにして、誰かを攻撃しないことです。「どうしようもない学校だ」「先生が悪いんだ!」という非難や、「政治家が馬鹿なんだ」と、誰かのせいにして攻撃したとたんに、問題は解決しなくなってしまいます。批判される相手もつらいし、批判するあなたの心も暗くなっていきます。誰も幸せにならないです。(中略) 人の役に立つために必要なのは、他人より優れていることではありません。本当に必要なのは「思いやり」と「優しさ」です。 他人を非難するのは簡単なこと、しかしそれを続けている限り幸せはやってきません。じゃあどうするのか?それは「文句」を「意見」に変えることです。「どうしようもない学校は!」ではなく、「こうしたらいいんちゃうの学校は!」と自分ごととして考えることではないでしょうか?学校はみんながつくります!どんな学校にしたいのか?そのためには自分は何ができるのか?それをそれぞれの立場で考え、話し合い、対話し合えばいいんです!答えは一つではありません!正解を探すんじゃなく、最適解を探しましょう!それが次へつながります!みんなが当事者意識を持てば、素敵な学校づくりができます! 考える子どもに!「だったらこうしてみたら?(植松努著 PHP出版)より、 いまの若い人たちは、僕らが子どもの頃と比べたら、はるかに能力が高いです。なぜなら、ものすごい量の情報のなかで暮しているからです。そして、科学も発達しています。僕ら大人ができなかったことやあきらめたことを、これからどんどん成し遂げていく素晴らしい人たちです。でも、考える力を、誰かに奪われてしまっているのです。 小さい頃から親や先生に「疑うことが許されない正解」を覚えるように指導されて、覚えたことの量と正確さで評価されてきたのです。 小さい頃から親や先生に指示されつづけて、指示以外のことをすると「余計なことをするな!」「勝手なことをするな!」と怒られて、言われたことを、言われたとおりに、素直に真面目にやってきた人たちです。それを繰り返すうちに、いつの間にか、考える力を奪われてしまったんです。 「指示されたことだけやっていれば、怒られないし、失敗しない」と思い込んで、考えなくなってしまったんです。 でも、それでは間違いなく、ロボットAIに負けてしまうのです。 今一度、「どんな子どもに育ってほしいのか」を問い直しませんか?なんでも従う子ども?それとも、自分で考える子ども?答えは明白です!子どもに問いかけましょう?「3つのD」で! 「大丈夫?」 「どうしたん?」 「どうしたい(どうする)?」と。 子どもは自分で考えます!そして、自分なりの答えを出します。親や先生は、その答えを尊重して、見守り、信じ抜きませんか? 下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる!「だったらこうしてみたら?(植松努著 PHP出版)より、 初めて鉄砲を持たされて、試し撃ちも許されない。そこで「命中させろ!」「外したら許さない!」と言われて真ん中に当てられるかな? そんな無理なことを言われたら、やりたくなくなる。「お先にどうぞ」と先延ばしにしたり、チャレンジしなくなる。 最初に撃つ鉄砲って、絶対に当たりません。銃身と照準器がずれているからです。撃って、外れて、その分を調整して・・・何発も何発も撃って、照準器を調整するのです。それでも難しいから弾がたくさん出るショットガンが生まれて、それでもダメだから機関銃が生まれました。 知恵と工夫で命中率を上げるなら、いっぱい撃ったほうがいい。「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる」という言葉がありますが、下手だからいっぱい撃ってみたらいいんです。 何かにチャレンジするときも同じですよね。最初からうまくいくはずがない!と思えば気も楽だし、失敗を前向きに捉えられます。夏休みも中日を迎えようとしていますが、みなさん夏のチャレンジは順調ですか?結果はあとからついてくる!とにかく目の前のやるべきことを着実に前へ進めましょう!そして、失敗はOK!チャレンジしているから失敗があるんです!チャレンジしない人には失敗も成功もないですからね! 本当の自信!「だったらこうしてみたら?(植松努著 PHP出版)より、 人は生きていくためには、どうしても自信が必要です。でも日本人は世界で最も自信がないそうです。なんででしょう?それは、学校が教える「比べる自信」が原因じゃないかと思います。 小さい子に対しては、ついつい、「ほら、○○ちゃんはできてるよ。だからあなたもできるよ。頑張って!」というようなはげまし方をしてしまいます。「ほら、○○ちゃんはおとなしくしてるよ。だからあなたもおとなしくしていようね。」なんてことも言ってしまったりします。 それがエスカレートするのは、テストや受験のせいです。クラスで何番の成績だ!全国模試で何位だった!が人の価値のように言われるようになります。運動もそうですね。誰かに勝ったら嬉しい。誰かに負けたら悔しい。(中略)でもね、比べる自信は恐ろしいのです。 なぜなら、比べる自信を満たすために、まず手っ取り早い方法は、お金で自信を買うことです。自分の身を飾るのです。高価なものを身につけるのです。そうすれば比べる自信は満たされます。 でも、自分以上の金持ちはかならず存在します。その人と自分を比べたとたんに自信を失います。しょうがないから、自慢するようになります。(中略)でもすぐに気がつくんです。自慢をするよりも、自分以下をつくったほうが早いって。だから、人を見下し、評論し、差別をするようになります。 そして、自分が誰かに置いて行かれるのが恐ろしいから、頑張る人の足を引っ張るようになります。人が頑張っていることについて、「よーやるわ」「何それ自慢?」「どうせうまくいかないのに」と言うようになるのです。でもね、こんなことをしても、自信は減っていくばかりです。 なぜなら、比べる自信は、追えば追うほど自信を失うからです。なんたって、かならず自分以上がいるからです。(中略)比べる自信から抜け出すためには、比べられなくすればいいです。 自分の好きなことがたくさんあると自分の個性になり、人と比べられにくくなります。みなさんは自分の好きなことがどれくらいありますか?私の好きな言葉に「何にでも凝る人であれ!」という言葉があります。たくさんのことを夢中でやっているうちに、だんだん自信もついてきます。誰とも比べられない、自分以下も必要としない、本当の自信を身につけませんか? |
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