いつも そこが じぶんの 居場所 い・そ・じ  みんな ちがって みんな いい

本川(ほんかわ)小学校

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爆心地から最も近い小学校

原爆ドームの対岸にあり
今も健在の
広島市立小学校

「はだしのゲン」のモデルになった小学校

校庭の一画に
当時の校舎のまま
資料館として一般公開されています

修学旅行でこちらに立ち寄る学校は
多くはありません
この日も2校だけだったようです

なんせ
今の本川小学校児童が
ウェルカムボードを書いていてくれるのですから

歴史がつながれていることがわかります

平和記念公園フィールドワーク

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路面電車で
原爆ドーム前に到着して
平和記念公園を縦断して
語り部さんのお話を聴き
原爆の子の像の前で平和の集いをして
平和資料館やレストハウスを見学して
ひたすら先生に連れられて歩い来たが

最後は
自分たちで選んで探して動いて
見て回るフィールドワーク

校長の担当は
公園外にある爆心地
島病院に案内すること

今日も
真っ青な青空
8月6日その朝も真夏の青空

その600m上空で
原子爆弾が炸裂

一瞬のピカドンで
広島の街が消えた

それを想像しながら見上げる空

やはり
現地
現場でしか感じられない空気が
そこにあった

レストハウス展示室

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大正屋呉服店として昭和4年に建てられた
レトロモダンなビル

「この世界の片隅に」のアニメの中にも出てくる有名店

被爆建物として
一昨年
おしゃれなカフェとしてリニューアル

しかし
地下室は被爆当時のまま残され

しかも
戦時中は燃料会館となり
昭和20年8月6日午前8時15分
37名の職員が働いており
一人地下室にいた野村英三さんだけが生き残ったという

その地下室に下りて
その説明を読むと
あまりにもの臨場感に身震いした

一昨年のリニューアル
コロナ禍の修学旅行で
今の
中2も中1も体感してきた新たな歴史を
つないでいきたい

平和の集い

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平和資料館の最後の展示が
佐々木禎子さんの生涯だった

資料館を出て
向かうのが
原爆の子の像

禎子さんをはじめ原爆で亡くなったすべての子どもたちの慰霊の象徴

そこで
キッズゲルニカを広げて
平和の集いを行う

重い心臓病で自宅療養中の
クラスメイトとオンラインでつないで
時を共有する

在校生の思いを寄せてみんなで作った千羽鶴を捧げる

そして
音楽の時間に繰り返し歌ってきた歌
平和集会で全校の後輩たちの前で歌った歌

HEIWAの鐘


ここで歌う

そして最後に
原爆の子の像の
平和の鐘を鳴らす

この空気
この現場
その臨場感は想像を超えて


子どもたちが
目の前で育っている
一瞬で
大きく!

平和資料館で本物に触れる

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子どもたちは
悲しみと怒りの混じった重い思いに
胸を痛めていました

その痛みは
生きたくて生きれなかった人たちの想いを
受け止めようと必死にもがく命の鼓動でもあります

この子たちのそばにいるだけで
胸が熱くなります

次世代にバトンをつなぐ
修学旅行

集合時間ギリギリまで
メッセージノートに思いを綴る子どもたち
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